2011/06/08

須磨港跡の点景

 神戸市須磨区にある須磨港の跡です。以前は、淡路島の大磯港と結ばれていた港です。明石海峡大橋が出来るまでは、この港から淡路へ渡る車が数多くありました。私も子供の頃に父と釣りに大磯へ渡ったことがあります。今は、ショッピングや食事をする場所としてこの春、新たな施設が出来ました。新しい風景の創出です。

 この周辺は、妹尾河童さんの「少年H」の舞台になった近辺です。私も子供の頃、自転車に乗って来て遊んだ場所でもあるので、今の風景がとても感慨深く感じます。漁船とヨットが停泊する静かな港に変わっていますが、かつての華やかな港の光景は、今となっては昔です。阪神大震災を経て、須磨の港や海岸もさらに大きく変わってきています。風景の変化は、ある程度致し方無いものですが、出来れば変わってほしくないものもあります。

 人の生きていく時間は、そんなに長くありません。「子供の頃の意識をいつ頃から思えていますか?」と、神戸芸工大の院生として学んでいる時に、心理学系の講義で三木先生から質問されたことがありました。私は、3歳か4歳のときの記憶で、住んでいた須磨の家の庭と須磨の海岸のおぼろげな記憶があることを先生に言ったことがあります。先生は、「そこまで記憶があるのは幸せなことなのですよ」と言われたことを今でも思い出すことがあります。今、その記憶の中での須磨の記憶は、今に続いていくものなのだろうかと、この25年程ぶりに見る須磨の港跡の風景を見て、週末の天気の良い潮風に吹かれて考えました。

 思い出せられる記憶の時間から、たまたま生きることの出来た今の時間と、この先何年、生きられるか分からない中での時間の流れ。それが、風景にとっての記憶の中で変化することや、風景にとっての維持されることの重要性は、どのように考えたらよいのだろうかと、とても複雑に考えてしまいます。私は、阪神の震災後の学生時からそのことを考えることが多くなっています。しかし、まだ答えらしいものも見えてきません。この点も研究への大きな命題のようです。答えは見えて来そうで見えません。

須磨のヨットハーバーと漁港