2023/05/12

南禅寺での水路閣

 南禅寺境内には,煉瓦と花崗岩で作られているアーチ形の橋脚の疎水の道があります。以前,ゼミ生の鳥類調査の中で疎水を中心に調べたことがありました。そのゼミ生は鳥類調査でのフィールドとして疎水を対象にしましたので,疎水の箇所を可能な限り調査した結果から,彼は博士論文へとりまとめました。その折,何度か調査指導に行きましたが,それもだいぶと前です。その後,何度もこの場所には庭園見学も含め,ここには来るのですが,何度見てもこの水路閣の存在はどっしりとして,時間の経過を余り主張していないと感じます。そういえば,子供の頃(昭和50年代)に来たときとも同じ状況だった気がしますので,ほぼ変化のない景観なのでしょう。変わっていくのは植物の状況ぐらいでしょうか。

 ここは,京都らしいのだろうかと言われると,そう思えたりするのは不思議です。でも,外国ですよと言われたらそう思いそうにもなったりします。この水路閣は,日本において,それも古都京都において不思議な存在感を作り上げている気がします。煉瓦といった素材が,この境内においては主張を強く出しているような気もしませんし,周辺の青もみじの美しさと相まって,この景観を作り出してくれているようです。ずっと残ってほしい京都の景観です。

青紅葉も見られます


2023/05/05

夜久野の植生調査

 福知山市夜久野には里山があります。クヌギやコナラといった二次的自然やスギやヒノキといった人工林の植林地などの植生がみられます。京都府立大学地域貢献型特別研究(ACTR)の一環で,「京都府北部のMALUI連携による文化資源を活かした地域づくり」のテーマで調査を実施しました。ゼミ生にとっては植生調査の経験を踏んでくれましたので,ランドスケープを学ぶ者にとっての演習として良い経験になったかと思います。

 この里山は末窯跡群のある空間で,今回の調査は,日ノ本南7号窯や日ノ本北12号窯の周辺の植生調査です。末窯跡については文学部歴史学科の学生さんたちが指導の先生と共に調査をしていますが,私は自然環境を担当しての調査に成ります。飛鳥から平安の時代にかけてといわれる末窯跡群のことを考えてみると,その当時から樹木を燃料に須恵器が作陶されていたとみて間違いないでしょう。すると当時の植生はどうだったのだろうかと,想像が広がります。

 広範囲に末窯跡が存在していますので,燃料の状況を考えると,ある程度の樹木は刈り取られていたのではないかと思うところです。その辺りは,土壌内の花粉分析をしている先生がいますので,当時の植生についてはゆだねるとします。この空間を見て思ったのは,幕末から明治初期にかけての,神戸の六甲山を撮った古写真を思い浮かべました。この古写真は,六甲山の樹木自体が,ほぼ無い禿山状態であるものです。現在の六甲山は植林等で緑に覆われた景観になっているのですが,当時は燃料などへの転用で,樹木が貧弱だったと実感できる古写真です。夜久野のこの末窯跡が広がっている場所もあくまで想像なのですが,平安の当時は樹木がだいぶ切られて貧弱な里山だったかもしれません。

 現在では,豊かな里山景観になっています。逆に燃料として使われなくなったものですので,遷移が進むでしょうし,また変化し続けていくだろうと思うところです。こういった環境は,高度経済成長以後,日本でいたるところに見られていくようになっています。人の影響が必要な里山景観は今後無くなっていくところが大半です。夜久野はどうなるのかまだ先は見えません。 

植生調査の風景です