2011/07/31

北京の街・獅子と想像力

 北京の街の中にある獅子は、表情が豊かなものが数多くあります。どのような獅子かというと、大きいもの、小さいもの、また、顔は恐ろしげなものから、優しいものまで、作り手の人のノミ加減で、大きく変わっているようです。獅子の表情は、作者の気持ちがそのまま制作中に表れる物ともいえるのではないでしょうか。

 作者は、依頼者より制作の依頼を受け、具象作品を制作していったのでしょうか。その作者は、どういった気持ちで制作をしていくのでしょうか。ただ無心で作るとしても、その作者の育った環境、周りの環境、食べて来たもの、祈ってきたもの、年齢や性別など…、色々な要素がその作品に現れているのだろうと思います。その色々な物の中で、何が最も影響を受けさせるのでしょう。毎日食べる食べ物かもしれませんし、毎日お祈りする色々な宗教の神様かもしれません。毎日何気なく見ているものかもしれません。気候や国も関係があるでしょうね。

 そう考えていくと、この獅子の表情を制作した人は、どんな人だったのか・・・。見ているだけで、想像力が広がっていきます。これは、コンサートのホールで、色々な楽器をたくさん奏でると、音が織りなしていくような感じで、想像力も広がっていくような気がしていきます。

 そのような無駄のように思える想像をする力が、子供の頃より、社会人としての忙しさからかもしれませんが、若干少なくなったような気もします。たくさんの興味を持っていくこと、考える時間を持つことも大切なことだと、雍和宮の獅子を見て思いました。

どっしりとした獅子
木陰の獅子


2011/07/30

高大連携での指導と演習

 昨年度から高大連携を担当し、私の研究室で高校生を受け入れています。いよいよ今年度は、研究室等で学んでいく期間になり、729日から84日まで大学の研究室で学んでいます。府立大学に最も近い高校である洛北高校が高大連携での担当高校で、第一日目では、午後からその生徒さんたちを京都府立植物園へ連れて、演習をしてきました。

 今回受け入れた2年生の生徒さん達には「京都の都市の生態系」について学んでもらおうと思っています。京都市は、ほかの政令指定都市と比べて色々と面白い空間が広がっています。コンパクトに流れる鴨川や高野川、御所や糺の森のような緑の空間、豊かな街路樹、街の周りには北山や叡山など山にも囲まれ、街の生態系を考えていく上で、生徒の皆さんには興味深いことがたくさん出てくると思っています。

 生徒の皆さんには、実際に現場で見ることで、都市内には、自生や人によって植えられた植物があり、また生息や飛来する鳥類、昆虫類が見られますし、河川には、爬虫類や両生類、もちろん魚類も多く確認できます。実際に見る事を体感してほしいと考えてフィールドの演習を毎日行うことにしました。机上で理解する点、実物を見る点、それぞれを合わせることによって、学習に対して大切な要素となるだろうと考えています。

京都府立植物園での演習

2011/07/29

高砂市の旧入江家庭園

 写真は、旧入江家の庭園です。建築物は、江戸後期に建てられたもので、県重要文化財に指定されています。その建物の横に庭園があります。こちらは指定されていないのですが、それでもその家の家人がかつて大切にしていた樹木なども残っています。今回、ゆっくり見させてもらって感じたのは、石の配置を大きく移動させたり、有るべき石が無かったりと、だいぶ手を入れていると感じた事と、だいぶ荒れていると思った事です。

 今は、荒れた感じを受ける庭に思えますが、手を入れる、世話をしていくにしたがって、とてもよい庭に変わっていくはずです。ただ、そのためには、元からあった場所へ石を戻し、無くなった石を再配置させたり、樹木も思い切って不要なものは伐採したりと、庭を生き戻すためにすべきことが必要なことがたくさん見えてきました。

 旧家人が大切にしていた樹木は残しつつも、庭として不必要な枝、樹木は切っていかないといけないだろうなと、縁側に腰を下ろして庭を見ながら思いました。庭は、手をかけるべき場所、手をかけない場所、色々とあります。この旧入江家の庭園については、手を入れるべき庭であり、庭が生き返らないような気がします。

 手入れすることで、生き返る旧入江家の庭。そういった感じを強く受ける庭園です。

旧入江家庭園

2011/07/28

竜山石の「石の文化的な景観」

 兵庫県高砂市には、竜山石を産出する地区があります。古代の頃から山の石を切り出してきたと云われています。ここは、平成20年度から文化庁の「文化財総合的把握モデル事業」で高砂市教育委員会が事業を精力的に進められてきた地域です。私は景観で関わり、以前高砂市の広報にその折の調査について文章にしました(広報たかさご2010年2月号12月号)。読んで頂いた方もいるかもしれません。高砂市教育委員会でのこの取り組みは、とてもよくまとめられていると思います。

 さて、今回、私の所の研究室の学部ゼミ生が「竜山石の採石場に関する景観」を卒業論文のテーマに多角的な視点で調査をしようとしています。まず、現場を見ることから始めていますが、この竜山石の採石場は、何度見てもダイナミックで壮大な景観を創り出しています。

 この採石場は、竜山石を現在も採石していることから、日々変化をする「生きた景観」とも云えるものでもあり、時間のデザインが大きく変わっていくものです。石の採石といった生活の中での文化を醸成した景観と言っても過言ではないと考えられます。「石の文化的な景観」といえるもと私は思っています。この変化する景観の中で、地元の方はどう日々の中で目にしているのでしょうか。また、どういったイメージをこの採石場に持っているのでしょうか。古代から続く長い歴史の中でのこの採石場の持つ意味とはなんなのでしょうか。

 今回の調査は、そういった点も踏まえながら進めていく予定にしています。恐らく、とても興味深い結果を得られるのではないかと思っています。


竜山石・採石場
過去の採石場跡での見学指導中


※採石場は、危険な場所であることから、立ち入り禁止も多くあります。写真は、採石した場所を覗き込んでいますが、安全に対して要注意しています。決して真似はしないで下さい。

2011/07/27

北京の街・王府井の夜景

 北京に来て、とてもきれいだと思える風景が幾つかあります。昼間の風景もきれいなのですが、日が暮れてそんなに間のない時間帯の風景もきれいに街を見せてくれます。王府井では、オレンヂ色のライトが少し多く感じられますが、それがこの通りの色を醸し出しているような気がします。徐々に藍色が広がり、その中にオレンヂ色の小さな点が存在感を表していきます。この時間が変化していく様、私は、とても好きです。

 中心繁華街から北側が若干、喧騒から少なくなっていく場の空間は、ゆっくりとした時間が流れていくようです。そのような場所で見る光は、とても美しく見られます。この大通りの中心辺りにある王府井天主堂は、重厚で、この通りの雰囲気に対して醸し出す演出をしているように感じられます。

 街の顔とはなんでしょうか。造園、通り、建築などの物理的なものに加えて、空気や風、におい、色、そして時間・歴史など様々な要素があってこその街の顔です。風景、景観を見ていく場合、様々な要素が折り重なることで、街の風景が出来上がっています。新しい街も古い街もそれぞれに時間を経ている、これから経ていく。そういったことを考えると、街の風景や景観は、私たちが思っていないような方向性へもいく可能性があるということです。もちろん、今までの形を変えずにそのままで残るものもあるでしょう。

 様々な国内外の街の中でその顔はどう変わっていくのか、訪れるたびに少しづつ変わっていく街の雰囲気を見ていくのも楽しいかもしれません。


王府井の夜景
王府井天主堂

2011/07/26

京都善導寺の門と緑

 善導寺は、二条通を通って、鴨川を超え東側にある寺院です。写真は、竜宮門ですが、その奥の前庭に当たる部分の緑が門を通してよく見えます。緑の見せ方で、門の向こう側に緑がある場合、明るい雰囲気を醸し出してくれます。門は無機的なもの、有機的なものがあります。対して植物は、生きた有機体です。その違いが、見せ方、見方に変わってきます。

 門やエントランスを含む、庭のデザインをする際、来訪する人に対し、善導寺の門は、どう見せることができるのかを考える良い一例を示していると思います。ただ、庭を造り、緑を植えるだけではなく、どう見ることができるのか、どのように時間が変遷し、植物が変わっていくのかを考えていく必要もあります。

 私たちの身の回りには、よい事例がたくさんありますので、これから徐々に掲載していこうと思います。

門と緑

2011/07/25

神戸三宮の植栽

 三ノ宮の駅前にフラワーロードがあります。この場所の植栽は、神戸らしい植栽を施し、神戸の街の中心部を彩っています。色々な街で、植栽が施されていますが、その街それぞれに個性があるように、植栽にも街の個性が見られるところも多くあります。この神戸の植栽は、神戸らしい雰囲気をこのフラワーロードをはじめ、各場所で見ることができます。

 まず、色合わせが上手だなと思うこと、植栽の配植がうまいこと、手入れが行き届いていることなどがあります。写真は、暑い季節の写真なので花ではなく緑のみですが、配植を見せるために上から撮影しています。人の目線の横から見ると緑のボリュームを見せるために、各植物の配植を種類ごとに考えて植えています。これは個人的にそう思うことなのですが、住んでいた東京や博多では、色合わせや配植が神戸とは違っており、街それぞれに何かしらの特徴はあると感じたことです。

 もちろん、季節や風雨の関係で植える植物の種は、地域ごとに異なるものですが、それでも色合わせなどは街の色や感性がよく表現されているような気もします。東京や博多でもうまい配植の花壇はたくさん見かけられます。みなさんの街それぞれに、美しく配植や色合わせされた花壇もたくさんあると思います。それぞれの街の造園・ランドスケープの楽しさが見えてくるかもしれません。

 花の多いフラワーロードの写真は、また別日に掲載しようと思います。

緑中心の配植

2011/07/24

圓教寺での廃庭の調査

 書写山圓教寺は、西の叡山とも言われ、歴史も古く、兵庫県の中でも重厚な建築群や豊かな自然環境も多く残っている寺院です。今年度から大手前大学史学研究所の調査で、私のところの院1回生のゼミ生と共に、周辺の植生調査に加えて、古い庭の調査もはじめました。圓教寺には多くの坊がありますが、その多くは廃坊や移転により、今まであった建築や庭の場所が放棄、廃棄されています。建築や庭石に関しては、新たな坊の資材としてもっていかれており、かつてあった空間は、平地としてしか確認できていません。

 そういった中で、幾つかの礎石や庭石が残っていることから、その当時の痕跡が残っており、かつてそこに坊があったことが忍ばれます。今回の調査では、植生調査もあるのですが、そこに残っている庭の痕跡から、復元できないだろうかといった視点で進めようとしているものです。

 圓教寺周辺は、文化財でもあり、発掘せずに何処まで復元できるのか、今年度に始まったばかりです。石の配置から何処まで廃庭の推定ができるのか、何度か試行錯誤を繰り返しながら図面を引いて、イメージスケッチを描いていこうと考えています。
 
現場まで山道を歩きます
石の大きさと位置を測り記録します

2011/07/23

鴨川の植生調査


 大学院2回生のゼミ生が鴨川流域にて植生調査を進めています。Braun−Blanquetの植物社会学的調査を進めていますが、この夏の時期の河川敷調査は、直射日光下のため、4か所16コドラート程度で、さすがに終了です。実はもっと調査をする予定でしたが、やはり昼の暑さにはかないませんし、熱中症になりそうでした。河川敷で日陰がない分、直接的な日光の強さを、そういえば、最近あまり当たっていなかったと思いましたが、短時間でこの太陽に当たるのはもう十分だと思いました。暑さには、敵いません。

 河川敷での植生は、場所によって変わってきます。景観の要素でもある護岸や道路、その周辺域の景観要素と植物の種類の関係を考えていくには、この鴨川はうってつけのフィールドですし、京都の街中を流れながらも大学の横にあることは、調査を進めるゼミ生にとってもフィールドが近い分、やり易いのではないかと思います。京都らしい研究を担当のゼミ生は、良く選んでくれたと思います。

 調査の合間には、鴨川の水が冷たく、とてもこの夏の暑さの中で、なんとも気持ちがいいものだろうと、実感しました。都市内に流れる水の大切さをつくづく思う瞬間です。足元にはカワヨシノボリ(Rhinogobius flumineus)やカワムツ(Zacco temminckii)などが逃げる姿も見かけます。生き物の多い空間です。7月末から高大連携で、高校生と鴨川で調査が始まります。植物や水生生物、水質等を調べて考えてもらおうと思っています。都市の生態系を学んでもらえたらと思っている所です。


ウェーダーを付けて調査です
植物の種の確認です



2011/07/22

圓教寺のシカ

 姫路市の書写山圓教寺の庭調査の際に、野生のニホンジカ(Cervus nippon)を間近で見かけました。シカは人を恐れることなく、悠然としています。お寺の敷地ということもあり、なにもされないことを知っているのでしょう。シカ食害の問題は、昔からよく言われている所です。彼らにとってオオカミのような天敵となる生き物がいない以上、採食できる環境があれば問題なく増えていきます。今、日本の国内で野生のシカを確認するのは、そんなに難しいことでは無くなっています。

 以前、東京の財団で働いている際、ニホンカモシカCapricornis crispus)の調査で飛騨の山中にいたことがあります。山中で、たまたま野生のシカと目の前で遭遇し、とても驚きました。私が風下であったため、臭いで獣が居ること自体、分かってはいましたが、まさか目の前で会うとは思っていませんでした。その時に初めて、野生の獣臭がとても強いことを知りました。シカの方も私と急に出会ったことで、当たり前ですが、相当慌てたようです。私のいる山手側を急に駆け上がり、疾走し、掛ける際に蹴って行った石が幾つも落石となって、私に当たりそうで危険だったことを、シカを見ると思いだします。

 野生のシカの増加は、日本国内では、大きな問題になっています。唯一の天敵は、彼ら彼女らにとって人間ぐらいしかいません。しかし、私たちは、そのシカを捕獲し、消費することも殆どなく、減少しないシカに対して、食害などの獣害は目に見えて増え、今後どう対策を施していくのかが問題になっています。この圓教寺では、シカの対策として、植えた樹木などは、網で囲うなどの物理的な対応をしています。今、こういった対策しか打ち出せないのも事実です。お寺なので、殺生は好ましいことではありませんので、苦慮されていることと思われます。

 野生動物を見ること、出会うことは、楽しく感動的な瞬間でもあるのですが、それが獣害などにつながる場合、どう対応すべきなのか。安易に、生き物との共生を云うことについて、ランドスケープの視点から見ると問題山積だと私は思います。本当にこれは難しい問題です。彼ら彼女らの生息している場所、私たちの住む場所、ランドスケープとしてどうとらえ、考えるか…。答えは中々見つかりそうにはありません。

ニホンジカ

2011/07/21

物の見たて

 庭の調査で姫路にある書写山圓教寺に行っていますが、その折に面白いものを見る機会と遭遇しました。境内の外れた辺りに、写真のようなお地蔵様が安置されていました。遠目では、赤い帽子と緑の涎掛けを掛けたかわいらしい『お地蔵様』でした。が、近づいていくと、それはお地蔵様ではありませんでした。単なる五輪塔だったのです。五輪の塔に赤い帽子と緑の涎掛けを着けてもらっているものだったのです。

 人の思い込みと単純なフォルムへの擦り込みの怖さ。これは、色々と考えさせられる一瞬でした。なぜ五輪塔がお地蔵様に思えてしまったのか。形、色、調度物、そういったものが重なって、五輪塔がお地蔵様に思えてしまったのでしょう。『見たて』の興味深い事例だと思いました。また、身の回りの景観として考えると、非常に人のそばにある景観要素だと認識しました。

 もう一つ、興味を持ったのは、この五輪塔に赤い帽子と緑の涎掛けを実際に着けてあげた方自身の物の『見たて』の素晴らしさです。こういった別物で、新たな意味を見出すこと、これは直感的に見いだせられたものかもしれません。もしくは単に、思い込んで新たなものとして創り出しているものかもしれません。

 人の認識とは、非常に浅いものでもあり、しかし、それを新たに認識する面白さもあり、その『見たて』によっては、変化するものになるのだと、認識させてもらった五輪塔のお地蔵様でした。景観の要素としても重要な点を示していると思います。

五輪塔のお地蔵様

2011/07/20

家の日本の庭

 私の曾祖父が作った田舎の家の庭の手入れをこの夏の連休に行ってきました。落ち葉掻きを行い、要らない草本類を抜き取り、通りに飛び出した枝葉の剪定を行い、やっと庭らしい空間に戻ってきました。手入れをして、やっと庭自身の顔が明るくなったような気がしました。

 手入れをして思うのは、やはり日本の庭は気持ちが落ち着くものだと感じましたことです。庭を学んできたものの、自分の庭を今までしっかりと手入れしていなかった事に改めて気づきました。手入れをした後に散水して見る庭は、夕日が差し込んで、苔の上に輝くような明るさを与えています。散水によって夏の暑さを少し和らげながら、ゆっくりとした時間が過ぎていきます。やはり日本の庭は、落ち着くなあと思う瞬間です。



田舎の家の日本の庭

2011/07/19

『裸の島』の宿彌島

 三原市の佐木島鷺港のすぐ目の前に宿彌島という小さな無人島があります。この島は、新藤兼人監督による映画の撮影場所です。私の母方の曾祖父の田舎がこの佐木島にあり、神戸での小学校の1学期が終わると、この佐木島の家に来て、夏休みの1か月ほど、いつも過ごしていました。私にとってはのどかで楽しい夏の時期でした。

 この宿彌島について、子供の時の記憶をたどると、既に無人島だったことを思い出しました。かつて人が一人住まわれていたということから、「一人島」と呼ばれていたように教えてもらった記憶があります。当時、既に無人島ではありましたが、山羊が生息していました。この山羊は、宿彌島にかつて住んでいた人が飼育していた山羊です。一頭いたのを対岸から見て、覚えています。今では、もうその山羊もいなくなり、現在、釣りをする人が宿彌島へ船で渡るぐらいなのでしょう。

 映画での風景で出ていた佐木島も、もうだいぶ変わっているのですが、それでもこの宿彌島は、昔と同じように見えます。映画撮影には、私自身、まだ生まれてもいないのですが、それでも映画のモノクロームのその風景と今そこに見える風景の時間の変遷が、オーバーラップし、何とも言えず不思議でなりません。映画では、モノクロームであっても、夏の暑さや海の色の美しさが伝わってきました。その撮影された風景から、今の宿彌島を眺めてみた場合、映画とオーバーラップし、色彩がある現在から、モノクロームも見えてきそうな感じを受けていきます。それほど、この映画での映像の力がすごいのでしょう。


宿彌島
鷺港旧フェリー乗り場


2011/07/16

景山公園とハス

 景山公園は、北京の故宮北側に位置する公園で、清時代の禁苑だった場所です。現在は、見学することができます。この景山公園の入り口正面に「綺望楼」という楼閣があります。訪れた日には、ちょうどこの楼閣の前にハス(Nelumbo nucifera)の鉢植えを数多く並べている所でした。大人3人が抱えて持って移動させるぐらいの大きな鉢で、それが4050もきれいに隙間なく並べているのです。その空間だけが、ハスの池があるような錯覚を覚えます。

 ハスは、きれいな花を咲かせ、見る人に心を和ませてくれますが、生える場所によっては厄介な植物です。例えば、日本のお城のお堀などがよい例かもしれません。葉枯れた後に、水底へ、枯れたそれらが蓄積されていくからです。蓄積されていくと水底が浅くなり、堀ではなくなってきますし、ヘドロ化していきます。

 この景山公園のハスの見せ方は、鉢植えということもあり、とてもよい見せ方だと感心しました。園芸植物などを見せる見せ方として、とても学ぶべきもので、見せ方のデザインの良い例ではないでしょうか。

綺望楼とハス

2011/07/15

祇園祭

 京都の夏らしい風景と云えば、色々とありますが、その一つに祇園祭があります。各鉾や山が町中に出回り、それぞれが、文化財としての価値も高い装飾を華やかに見せています。夜の中で、コンチキチンとのお囃子の音が流れる中、鉾や山を見ながら、京都らしい夏の風物を楽しんでいる人も大勢いると思います。また、直接京都の町衆の文化やそれを維持してきた文化財的な装飾に触れられる良い機会でもあるのです。

 祇園祭を始めてみたのは、小さい子供のころですが、意識してみるようになったのは、大学院生の頃からです。それまでそんなに意識をしていなかったのは、鉾や山の装飾について、単に「きれい」といった事しか意識をしていなかったからでしょう。街の中にこういった文化財が見られること、街の文化や歴史を引き継いでいくうえで、とても大切なことだと感じています。

 写真は、函谷鉾です。毎年ここで粽を頂きます。素晴らしい緞通と美しい鉾の装飾、お囃子の音につられて最初にここで頂いてから、毎年ここで頂くようになりました。

函谷鉾

2011/07/14

北京の街・小鳥の飼育

 北京の街を歩いていると、以前はよく鳥の鳴きあわせをしている風景を見ることがありました。今回、唯一見ることができたのが、この写真の小鳥です。見る機会が減ったのではと思ったのですが、たまたま見る機会がなかったのかもしれません。鳥籠や餌や水を入れる陶器のいれものなど、とても意匠の凝ったもので、見ているだけでほしいと思いました。

 鳥を飼育し、声を楽しむといった文化は、昔からある文化でもあり、北京の人たちにとって、この光景が五感を刺激する事にどう思って、どう感じているのだろうかと思いました。

鳥籠と小鳥

2011/07/13

北京の街・建物とフェンス

 胡同の中の建築の中で、ひときわ変わったものを見かけました。家をフェンスで囲っているのです。加えて、家の横の樹木もフェンスで囲っています。この囲みは、日本でも見かけます。車の衝突による家屋破損を防ぐために使われているのを、住んでいる京都上京での町家で見かけることがありますが、ここまで大がかりなのは、中国らしいものなのかもしれません。日本ではここまでしっかりとは保護されていませんが、住まれている方は、念には念を入れているのかもしれません。

 街の空間は、日本国内でも変化を見つけることがありますが、国が変わると、同じ用途のものでも、見かけが異なったりするものと出会います。このフェンス。ある意味実用的です。そして、植物を守ろうとする意欲を感じます。ただ景観的にどうなのだろうかは、判断が分かれるのでしょうね。

 北京の胡同は、歩くと色々と見えてきて楽しいものです。それは、やはりそこに人が住んでいて、息づいている空間なのだからだと思います。

樹と家を囲むフェンス

2011/07/12

北京の街・胡同の路地とデザイン

 胡同の路地空間を歩くと色々と見えてくるものがあります。壁の色や中庭の緑、古い窓ガラスに、屋根に生えている草。その中でも、門につけられている釘隠しはおもしろいデザインを施しているものもあります。写真はノックをする際に使っていたものです。口の所の輪っかが無くなっており、今では釘隠しのようなデザインになっています。

 胡同に限った事ではありませんが、人のスケールの中を考えると手が届く範囲は、私たち人間自体、注意深く見えているのかもしれません。人のスケールから遠くなると、こういった作品やデザインは見落としてしまうような気がしています。

 街をゆっくり探索し調べていくと、何かもっと面白いものが見えてくるのではと思います。景観を考えるときに、きょろきょろ見て回ることも大切ですが、ゆっくり見て見回すことがとても重要な点だと思われます。


路地空間
門の飾りデザイン



2011/07/11

北京の街・胡同の通り

 胡同には四合院の建物が多くあり、その合間の通りは、日本の路地空間と同じような感じを受けます。人の生活が見えてくる場でもあるのです。人の声などの生活の音、食事の匂い、そして空間そのものの視覚効果、北京のこういった空間が、徐々に減っていることに、空間が喪失していくことが、記憶の継承が出来なくなっていくのではないかと思わざるを得ません。 

 ノスタルジックな空間を維持することが大切ではなく、その生活している空間を何とか残すことができれば、良いなと思います。とはいえ、空間を切り取ることは、可能です。単に、建築や道をそっくり箱ものとして移転すればよいのですから。でもそれでよいわけではありません。そこに人が生活をしていて、人の生活が時間の醸成させていることが、実は、空間にとって、とても大切なことだと考えています。したがって、単に移転するのであれば、風景や景観にとって意味はないのです。


 写真は、緑化による緑のカーテンです。思い切った空間の活用です。胡同の小さな通りだからこそこういったことができるのでしょう。北京の夏の暑さもこのような緑の空間があることで、少し和らいでいくのではと思います。日本の路地空間での緑の使い方と同じです。人が考えることは、国が違っても、やはり同じなのでしょうね。

胡同の路地

2011/07/10

北京の街・四合院の中庭

 四合院は中庭を挟んで四つの房(室)があります。中心的な存在が中庭です。ここでは、各房に住む人が休み、話し、くつろげる場所です。中庭の存在は、四合院でもとても重要な空間を示しています。京都の町家とは異色の環境です。ただ、この中庭は、私にとっても心地よい空間のような気がしてなりません。

 ゆっくるできる空間、上を見上げると空が見える空間、風通しも良く、人と話すのに最適な空間でもあり、静かに考え事をするにも良い空間と云えそうです。こういったゆるりとできる空間が今の北京では減っているのではないだろうかと思わざるを得ません。このような豊かな空間は北京市の四合院としても財産の一つといえるのではないでしょうか。

 ぜひ、こういった緩やかに時間の流れる空間を維持してほしいものだとつくづく思います。日本に置き換えるとどういった空間がそれに当たるのでしょうか。残念ながら、日本の空間で生活の中の四合院の中庭のような環境は殆ど見当たりません…。あったら楽しいでしょうね。

中庭

2011/07/09

北京の街・四合院の空間

 北京の胡同になる老舎記念館の入口です。故宮の東側にあります。北京再来訪は、2001年以来ですので約10年ぶりです。最初に北京を訪れたのは、1992年でしたので、約20年前になります。北京には、何度も来ていますが、今回の訪問で、街の感じが大きく変わったと実感しました。もちろん、ビルのような大きな建造物もそうなのですが、伝統的な四合院の建築の空間が少なくなっているような気がしました。

 四合院建築自体、現代の生活に対しては、適合していないのかもしれません。しかし、四合院もあることによって古都らしい空間を醸し出している北京市内の風景が、四合院の減少で、なんだか古都らしい風情が無くなっている気がしました。減少や建て替えによる京都の町家と同じような感じかもしれません。

 ただ、見学をさせてもらった限りでは、現存している四合院建築も相当数傷んでいるようです。これも京町屋と同様だと思います。外からの見学者が入れる建築は、きれいに整備されていますが、人が住んでいる四合院は、やはり壁や屋根、扉などがひどい状態のものも見受けられました。

 今後、北京市がどう取り組んでいくのか、出来れば現状をうまく直しながら住めるようにし、今までの空間を維持できれば良いなと思います。

胡同の中の四合院入口

2011/07/05

圓教寺の棕櫚

 圓教寺境内の中のいくつかの場所でシュロ(Trachycarpus fortunei)が自生しています。スギの木と変わらないように生えるシュロです。恐らく、かつて鳥類が種子散布したものと推察されますが、なかなか立派に成長しています。人の大きさと見てもらうと良くわかると思います。

 このシュロは、庭木としてもかつてよく使われていました。その名残が有るのかもしれませんが、このような山岳の圓教寺にでも確認できるのかもしれません。京都の堀川の戻橋より今出川までの場所には小さなシュロが多く自生しています。これも為的ではなく鳥類による種子散布によるものなのでしょう。

 シュロは南国のイメージが強い植物ですので、これが多く自生しだすことで、圓教寺の景観が大きく変わらなければと良いと思うのですが、今後どうなるのか。また堀川の方でも京都らしからなぬ植物のシュロが増えることに、景観としてどうなのだろうかと思わざるをえません。


圓教寺で見られるシュロ

2011/07/04

圓教寺での古い庭の調査

 姫路にある書写山圓教寺の旧坊院において、庭の復元をしてみようと調査を始めました。大手前大学史学研究所による圓教寺調査プロジェクトの一環です。私の所の京都府立大学の修士1年生のゼミ生にも参加してもらい、ランドスケープ・造園学としての空間を見て、調査手法も学んでもらいました。

 圓教寺では、かつて数多くの坊院があり、廃坊院や場所を移転した坊院など数多くあります。庭に使われていた石もその多くは、移転の際に新たな場所で庭石として使われているようです。その中でも、移転しても打ち捨てられている庭石の位置を調べ、その配列を確認し、発掘をしないでの簡易調査が出来ればと思い始めたものです。

 気温は、そう高くはなかったのですが、湿度が高く、集中力が途切れます。1日できた場所は1庭を簡易測量しただけでした。これから、庭の復元想定図を描く作業になります。この場所に、本堂などの建築物があり、そこから見る庭の空間はどういった感じだったのだろうかと考えると、何か見えてくるような気がします。幕末に有った坊院で、お寺の人や訪れた人がどのように庭を眺めたのだろうかと考えながら、復元していこうと思っています。

簡易計測の風景

2011/07/02

モダン寺


 神戸花隈界隈に、モダン寺があります。本願寺神戸別院のことです。神戸の中でもモダンな外観を持つお寺です。私が子供の頃から見た以前のモダン寺は、独特で、お寺とは思わず、インドの施設か何かだろうと思っていました。震災前に解体され、震災を挟んで新たに再建され、以前のモダンなお寺の外観を残しつつ、現代に合ったお寺になっているような気がします。

 このお寺の存在は、地域にとって大きな存在です。私は、花隈に住んでいるときを思い出すことには、モダン寺の存在が良く目にする機械が多く有りました。その存在感がとても大きいものだと思えたのです。地域のランドマークといったところだといえます。外観を以前のように残していることは、風景、景観の継続性といった意味でも、非常に重要なことを示しているといえるでしょう。このような記憶の継続性の大切さを、再建築を通しても示していると言えるのではないでしょうか。


モダン寺

2011/07/01

神戸三ノ宮の花と緑

 神戸三ノ宮の駅前には、植え込みが美しくされています。神戸の中心市街地は、花が多く、特にフラワーロードやその周辺には、花の植え込みがうまくされています。神戸へ戻るたびに思うのですが、この植え込みや植栽の使い方、花の色あわせは、とても上手だと思うことが多く、神戸の特徴のひとつではないかと考えることがあります。

 他の近辺の京都や大阪などの都市や、以前住んでいた東京や博多、松山などでも、街を彩るための花は、多く使われているのですが、神戸のようにうまい使い方は、さほど無いような気がしています。目に付く花の植え込み、目が行く花の植え込みや緑の使い方がうまいのだと感じています。

 東京では、街を彩る花の使い方が上手だなと思える場所もありますが、どちらかというとミッドタウンのような「新しい空間」が主のような気がします。もちろん住んでいた亀有界隈などの家の前に出したりしている植木鉢の花や緑が「花や緑の染み出し空間」として良い間を作り出していますので、一概に比較は出来ないですが・・・。

 花や緑の使い方は、見る人にとって色々な感想があると思いますが、訪れる人にとって、生活の場にしている人にとって、この神戸の街中の花や緑が、心地いい空間であれば、街を彩るひとつの要素になろうかと思います。

歩道橋の花の植え込み