2022/12/23

冬の青野山の景

 島根県津和野町に天然記念物で名勝に指定されている青野山(標高907m)があります。現在,そこの保存活用に携わっているのですが,優しい雰囲気を持つ山で津和野の歴史ある街並みの中の至る所から眺めることが出来るお山です。町に住む人にとっては,青野山が有って当たり前でしょうし,遠くから戻ってきた人にとっても,街並みと山の光景は,地元に戻ってきたと思うのではないでしょうか。子供頃からの馴染みある光景は,自分自身の身近になっていることを感じると思います。私自身も神戸のポートタワーを見ると神戸に戻ってきたと感じるのと同じだろうと思うのです。

 この青野山は,日本遺産の津和野百景図の絵図にも「妹山(いもやま)の景」として栗本格斎さんが描いており,当時から旧津和野藩でも身近な景観だったのでしょう。津和野町の駅前から気動車に乗る前に青野山を眺めていると,夕焼けに染まっていたお山が,夜の色へ徐々に染まっていきます。数日前の雪も少し残っているこの山の時間の変化は見ていて飽きません。冬山の葉の落ちたコナラの木々の光景が,またこの山の表情を美しく見せてくれているようです。山は登っても楽しいものですが,景観として見る山もまた楽しいものです。青野山をこれからどう保全していき,活用に持って行くのか,難しい問題だなと思いながらも,この時はその難しいことを考えずに,時間の景観を楽しみました。

時間の移ろい

コナラも落葉しています


2022/12/19

大阪のユリカモメ

 大川(旧淀川)の八軒屋浜船着場にいるユリカモメです。綺麗に並んでいます。そして,見るからに寒そうです。この日の気温は,風も有りましたので,体感温度もだいぶ低かったこともあり,人もユリカモメも皆,寒い中での野外でした。私の職場横にある賀茂川,北大路大橋近辺には,ユリカモメはまだ来ていないようですが,この大川の船着場では,今の時期,多く見られます。そういえば,私が大阪の中之島近辺で鳥の調査をした時,1990年代の終わりでしたが,ユリカモメはさほど多く見かけなかった記憶が有ります。私の所のゼミ生が201412月に大阪中之島とその周辺で調査した際には,今回と同様にユリカモメが多かったことを思い出しました。この時は,お店の窓から余ったパンの耳を投げている人を見たので,ユリカモメが多く集まっているのはこのせいだなと感じました。この最近では,ユリカモメの飛ぶ風景が大阪の街の風物詩の様に毎年見られます。水都大阪に相応しいような,いびつな都市の生態系の構造になってしまっている・・・と難しい問題を孕んでいるなと感じました。

 今回は八軒屋浜船着場といった場所ですので,どうして多いのだろう・・・。と思っていたのですが,船着場から乗船したあとに,騒がしくなったユリカモメたちを見ると,やはり少し餌をあげている光景を見かけました。生き物にとって,ごはんが有る場所,休息できる場所(安心できる場所),繁殖できる場所,天敵が居ない場所など,幾つかの点が重なってくると,そこに集まってきます。

 都市に生き物がいることは,人にとっても良い影響を与えると思っていますし,そういった研究成果も幾つも出ています。また,生物多様性の観点を考えていくと,様々な所で生息していることも良いとも言えます。しかしながら,人がいる生活圏での,バランスを考えると,何処まで人が介入していくべきか,何処まで人が関わっていくべきか,難しい問題が山積しています。人が介入することで正になったり,負になったりと,難しい問題です。研究では,中々解決できない項目とも言えますが,少しずつ解明できればと思うところです。やはり,無味乾燥な空間での都市生活は楽しくありませんし,潤いのある都市生活のためにも,生き物との程良い距離感を探っていかなくてはいけないなと,感じています。

整列。


2022/12/07

初冬のスズメ

 127日は大雪の日ですが,洛中では半分以上の葉が落ち,冬支度になってきています。職場の下鴨キャンパスでも,タイワンフウだけが今盛りに美しく紅葉しているのですが,多くの落葉樹の葉は落ちています。とはいえ,全てが落葉している訳ではなく,まだ写真の様に一部のモミジは赤く染まったままのもあります。京都の紅葉はまだ2週間ほどは楽しめるかもしれません。今年は思ったよりも紅葉が早く,すぐ終わるのではないだろうかと思いましたが,例年どおりの季節感です。

 紅葉に少し膨らんだ福良スズメは,面白いなと思ってシャッターを切りました。晴れの寒い日でしたので,スズメもだいぶ膨らんでいます。大寒を過ぎて益々寒くなるとスズメたちも益々膨らんでいきそうです。ちょとした光景ですが,生き物の状態を見るだけでも季節感が分かりますね。

モミジとスズメ


2022/12/02

晩秋のシジュウカラ

 晩秋というよりも冬に近い日の府立植物園でのシジュウカラです。一生懸命落ち葉の下を探っています。人が近くいてもほぼ何食わぬ顔で自分の作業に没頭しています。シジュウカラは私達の身近に生息している都市型蝶類ですが,声も綺麗ですし,色も光の加減で色々と変わり,見ていて飽きない鳥です。植物園には,これからシジュウカラだけでなく,ヤマガラやコゲラなどが混じって動き回る光景が見られます。カラ類の混群と言われる行動です。一気に幾つかの種が見られますし,なんとも賑やかに動き回る光景は,見ていて飽きないものです。声,色,動き,忙しく動いているのですが,それはそれで見ていて楽しい光景です。

餌探し


2022/11/30

晩秋の光景

 賀茂川の晩秋の夕刻光景です。夏や冬の直線的な光の中とは違って,晩秋に向かって光が少し柔らかくなる気がします。色も柔らかくなるような気がしています。特に夕方の光が夜に向かう少し手前の時間,夕刻といった方が良いかもしれませんが,もうすぐ夜手前の柔らかい光の時間です。賀茂川の中州に見られる植物の揺れも光と江風に吹かれてゆらゆらしている様は,思考を停止させます。私はこういった光景が好きです。

 こういった光景を緑地設計することができるのだろうかと考えますが,空間を設計し,その空間における装置は出来ても,自然の不確定さを取り込むのはとても難しいことに気づきます。これは,人の自然に対する傲慢さかもしれないと感じます。世の中に色々な設計が見られますが,思考が止まるぐらいの空間は,どれだけあるのでしょうか・・・。

夕刻


2022/11/16

スズムシの観察地

 スズムシ等の観察地と書かれた高札がありました。場所はというと隅田公園です。「鈴虫」は季節が分かり易い秋の虫でもあり,多くの人に親しまれる秋の昆虫です。スズムシの鳴く声の聞こえる隅田のこの空間は,私達への季節感を提供してくれているようです。江戸の人たちもその四季折々を生活の中で感じ取っていたと思いますし,歌川国貞の「秋の夜 虫ノ音聞図」にもある様に,何かしら風情を感じます。それが現代においても,虫の音を聞くことに少しでも続いていることは,日本の四季を感じられるという事にもなります。この造られた観察の空間は,さほど大きな空間ではありません。ですが,小さな空間であっても鳴声のイメージは大きく広がるのではないでしょうか。

こじんまりとしています


2022/10/15

島のムクノキ

 船でしか行けない瀬戸内の小さな島に私の母方の田舎が有ります。子供の頃からその島へは夏休みや冬休みにいそいそと行って,のんびりと過ごしていました。今も定期的に行って過ごしていますが,徐々に島の景観が変わってくるのが残念です。当時,この島には農協さんによる販売店がありました。銀行や保険も扱っているしっかりとした農協さんです。大正時代のモダンな建物の中にその農協が営業をしていました。曾祖父らが資金を提供して作った建築でした。とてもモダンでいま残っていれば・・・とつくづく思います。

もう危ない状態でした(2017年夏撮影)

 島には大きく3つの地区にわかれるのですが,私の田舎の家のある地区にあった農協さんは,人口減などによって銀行や保険業務をまず停止し,建物から撤退しました。そして物品販売も移動販売に移り,とうとう建物もなくなっていきました。田舎に来てみて更地になっている光景を見て,驚きと,そして何ともさみしさを感じたのです。ぽつんと写真の様にムクノキの大きな木のみが残っているだけです。

ぽつんと樹は残りました
 景観というよりも,ここでは心象的なことも強いので「風景」という単語になると思うのですが,風景が欠如していく様は,いままで蓄積してきた見たものが無くなっていくことで,さみしさを作り出している気がします。景観や風景に正解はありません。見る人それぞれに思いが有って,残すべきもの,無くなって仕方がないものと,取捨選択が脳内で測られていきます。私にとって,大正の建築はそこにあって当たり前のものでした。が,無くなってしまうと喪失感が大きいと改めて感じたものでした。余り写真とか残していないもので,有って当たり前が,当たり前で無くなって,初めて理解できるものかもしれません。

 景観を講義で教えている中で正解のない景観,風景のことは,とても難しい学問ではないかと日々感じるところです。学生には色々沢山物や風景を見て欲しいと言っているのですが,さてどういった答えが正解なのか・・・難しい所です。

2022/09/01

三原港と興安丸の錨

 祖父が存命だった時に,戦争の事を幾つか聞いたことがありました。当時は余り気にも留めていませんでしたが,今になって思う事は,「もっと聞いておけばよかった」という事です。沢山の話の中で,舞鶴の引揚船とその船が三原港に係留されていたことを聞いたことがありました。そういった経緯で以前,舞鶴の引揚記念公園や復元桟橋を見に行ったことも有ります。

 今夏,島の田舎へ向かうために三原港にたたずんでいました。鉄道との接続時間がうまくいかず,思い掛けずに時間の間が開いてしまいましたので,船の待ち時間です。乗船まで時間が有ったので港の周りを少し歩いてみました。三原港周辺は子供の頃はよく頻繁に使っていた港でしたが,このところはずっと因島や生口島経由で車にて船に乗って渡っていたので,駅前の変化には驚きました。綺麗に整備されたことは,とても良いなと思う反面,昔の雑多な町の空間,路地の空間などが全て無くなり,細々した空間性が霞んでしまったこと,一方ではその大きな変化に悲しさを覚えました。自身の子供の頃からの記憶が断片化されたようです。昭和50年,60年代のノスタルジックかもしれません。とはいえ,そこに住まう方使う方の利便性でそうなったことですので,それも町の一つの歴史といます。

 最近は港回りを見て回ることがほとんどありませんでしたので,驚きも大きかったのです。あれほど賑やかだった港が何となくさみしい感じを受けるのです。便数の激減や利用客の減少が,港の空間で染み出してきているような雰囲気を感じます。以前はもっと賑やかだった気がするのですが,それも以前の記憶の合間の話かもしれません。回ってみると,港湾ビルの東側の角あたりに,大きな錨が据えられています。興安丸と書いたパネルがあり,引揚船でもあったことが記されています。この興安丸について気になって調べた中で,シベリア抑留の人たちとシベリア犬のクロの話(舞鶴市引揚記念館)が,印象に残りました。この錨を見て,興安丸について祖父が話していたことがあったことを覚えているのですが,話していた内容が,おぼろげに見えてきそうではあるのですが,矢張りちゃんと話を聞いておけばよかったと後悔しています。昨年にパネルが新しく設置され,その歴史について書いてくれていることから,多くの人がこれを見て,その錨の歴史を感じてくれるだろうなと思いました。また,その錨周囲にはオープンスペースとしてデザインされ,上手く港と調査していると感じました。小さなポケットパークのような感じですが,港での船町の時には訪れて欲しい場所の一つです。

興安丸の錨


2022/08/17

山椒山公園と石

 イサムノグチ庭園美術館横にある公園です。ノグチのイサム家の横あたりにある公園ですが,周辺の石積みの景観と,公園の石の配置,石を主体にした空間に見えてきます。

 牟礼の石の公園は地域に合った公園に見えます。地域,地域に色々な公園がありますが,公園設計での地産地消に近い素材選びやデザインは,私たちが考えるよりも難しいものです。ここ牟礼は石の山地ですし,多くの石工さんもいます。この公園に行く途中でも多くの石屋さんが幹線道路沿い有ったりして,石の町だと実感できます。

 そういった環境だからこそ,公園での大胆な石の配置は見ていて面白さを感じます。石も徐々に風化し,その形状も出来た時に比べて変化することを考えると,空間に馴染んでいくような気がします。路面などのメンテナンスは必要でしょうが,大きな石はそうそうメンテナンスが必要ないと思いますし,割れなければ危険性も少ないのではと思うと,経年の違いを楽しめる公園になっているのではないでしょうか。

 地元の石材を使っての公園の空間づくりで,ここで遊んだ子たちが次の世代になった時,同目に映るのでしょうか。それはそれで楽しいといった視点になってくれるのかもしれません。長く続く公園の在り方を考えさせてくれる山椒山公園です。

石と空間

石と道


2022/08/03

屋嶋城と城門跡

 高松の屋島山にある屋嶋城(やしまのき)を見てきました。ある山城の整備に関わることから,築城年代は全く違いますが,整備の参考になるのではと思って見に行ったのです。天智2年(663年)の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)の後に,国号も倭から日本に変わった政治的という大きな転換の時期に,作られた城です。石垣の形状復元には緩やかな傾斜があり,私たちが見慣れている近世城郭とは違った形状に面白さを感じます。古代の城の形状をしっかり見ることができるのは,とても勉強になりました。この城の形状を持て思い出したのが,首里城です。30年以上前の浪人の時,沖縄を訪れて首里城を見学した際,石垣の美しさに感動しました。緩やかな曲線を作り上げた石垣のデザインは,いま見ても綺麗に感じます。この屋嶋城の石垣は新しく復元されたとはいえ,やはり綺麗な曲線を形作っています。こういった城郭が四国で見られるとは思いませんでしたが,古代の城の面白さだなと感じました。

 この屋嶋城の位置は,高松,瀬戸内を一望でき,城郭としての機能を良く考えて配置されたと感じます。そして,この地に散在した石たちから,良くここまできれいに復元できたものだなと感心します。教育委員会や担当した先生方の解析や分析,石の設置についても大変な時間と苦労があったのだろうとつくづく思われます。山腹にある城ですので,当時,築城した人はもっと大変だったことも偲ばれます。

 この屋嶋城は整備のよい事例かと感じましたし,今後関わる史跡整備についての参考にも十分なる整備と思いました。

高松が一望です


2022/07/22

祇園祭・後祭

 祇園祭が前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)になり,ゆっくり見ることができるようになった気がします。観光で訪れる方にとっては一回で見られる方がうれしいかもしれませんが,本来,前と後に分かれていましたし,文化,伝統としても,とても大切なことだと思います。合理化を進めることは良い面と悪い面が有ります。昨今の合理化の推進を求めすぎる風潮も,何だか不思議に感じていましたので,この元に戻しての行事の進行はとても良かったのではないかと思っています。進めなくてはいけないものと,ゆっくり考えていくものの区別,区分が必要です。

 私たちの身の回りでは,私たちの価値の尺度で見て進めがちです。そして実際,その方が合理的なことも多いです。ただ最近,その尺度については,私達だけの尺度であって,私達の外の人の視点は,その尺度自体,合わないことを認識しなくてはいけない・・と強く感じています。全てが今の時点,今の時代の尺度で図ってしまっているのは,私たちが余りにも無知であり,私達のその生き方の傲慢さが招いているのではないかと,常々感じます。これは私自身もそうであるなと感じ,足元を見つめ直さなくてはと思っているところです。

 祇園祭の長い伝統,そしてそれを作り上げてきた文化は,その時代時代の尺度によって解釈や醸成が進んできた賜物です。このことは,祇園祭のいつの時代を切り取っても,その文化の度合いの価値は低下することは有りません。そして,現在に携わっている鉾や山を守ってきた人たちの文化や伝統を見せてもらえていることは,「京都」といった町の文化を見つめ直し,学んでいける場の一部として提供してくれていると言えます。その上で改めて,眺めてみると,その時代の尺度を考えてしましまいます。この時の祇園祭は,どういった時代背景で,どういった人の価値観が有ったのだろうか・・・。それを学んでいくための古文書や史料,絵図など興味が尽きません。ランドスケープの中でも文化や空間に関わる内容だなと強く感じます。

・・・とはいえ,難しいことよりも,あとは後祭を楽しみたいと思います。

南観音山

北観音山


2022/07/18

高松の植栽

  高松市にムクドリ,スズメの塒調査,街路樹調査に行ってきました。夏の瀬戸内は暑く,そして緑陰の涼しさを感じないほどのジリジリとした太陽と空気感ですが,その中でもやはり街路樹はあった方が助かるものです。今回の調査は第一回目ですので,まだまだ何もない状態ですが,街を歩き回る中で,街路樹や塒とは違って,公共緑地,花壇などの植栽に目を向けると,その地域地区の植栽の特徴が見て取れます。今回,目についたのは,「オリーブ(Olea europaea)」を植栽した場所が多いなぁと感じました。そういえば,ここは香川県。オリーブで有名な小豆島を包括する県だったと,オリーブ植栽を見ながら思いました。乾燥に比較的,強い樹木ですので,瀬戸内の空間では適切な植栽樹木なのでしょうね。

 写真は金融業を営んでいる企業の建物のセットバックされた場所での植栽されているオリーブです。とてもしっかりと植えられており,歩道と街路樹との対比的な空間も好感を持つことができる植栽空間です。これを見て思い出したのは,仙台駅前にある私立大学にもオリーブを植えた鉢を歩道に置かれており,オリーブは寒さにも強いのだなと感じましたが,やはり瀬戸内の暑さと乾燥でジリジリした空間が何となく似合いそうな気がする植物です。

歩道の横に植えています

オリーブです


2022/07/12

夏山のクワガタ

 少ない休暇の中,ここ数年,訪れている乗鞍近辺の旅館のテラスの椅子に座って,山と植物を眺めていました。足元を見ると小さいクワガタが居ました。私にとって今年初めて見つけられた生きたクワガタです。大きさは関係なく甲虫類を見つけられることは,私にとって子供の頃からですが,つい心躍ります。この子はスジクワガタ(Dorcus (Macrodorcus) striatipennis (Motschulsky, 1861))のようです。捕まえてテラスの手摺に置いて暫く眺めていました。彼は怒っています。

 今回は降雨の為,乗鞍には登るのを諦め,宿でぼーっとしていましたが,ゆっくりした時間で過ごす中,甲虫類を眺めることも余りなかったなあと,クワガタを見ながら思いました。暫く怒ったままのクワガタを眺めていました。早く解放せよと言っているようです。

 子供の時なら持って帰って飼育していたのでしょうが,そのまま逃がしました。また来年,訪れた時に別の甲虫類とも出会えるのではと楽しみが出来ました。


スジクワガタ

2022/06/21

空港でのくも

 千歳空港で飛行機に乗る際の待ち時間。窓の外には,搭乗する飛行機が乗客を迎える準備をしています。窓の外を眺めていると,線のような雲が霞の反物の様に青空の中,ゆるりと流れています。その光景は秋のような,初夏のような,季節感がなんとも,とらえられないような感じです。そういった中で,気が付くと蜘蛛がつつーっと上から降りてきました。窓の外です。風に揺られて一旦は視界から消えましたが,また視界に戻ってきました。どうやら,昆虫が光によって来るのを餌として,いつもここに生活しているように感じました。

 風に吹かれながらも一生懸命,糸を張り巡らせようと頑張っています。なんとも行動がユニークで,飛行機へ搭乗するまでの間の時間,この蜘蛛を眺めていることで時間を過ごすことが出来ました。一つ一つの動きをみていると,蜘蛛も生きているのだなぁと実感します,

 空の光景と雲と蜘蛛。私にとっては面白いアングルでした。

雲と蜘蛛


2022/06/19

初夏の恵庭と北海道大学

 三年ぶりに対面での造園学会大会開催でした。シンポジウムは恵庭市,ポスター発表などは北海道大学で開催され,やはり訪れて良かったと思いました。会場の恵庭市は来週から花を中心としたガーデンフェスタ(ガーデンフェスタ北海道2022)が始まるため,町の通りのいたる所に花が植えられており,来訪者を待ってくれているかのようです。また,初夏の北海道大学は芝生の緑やハルニレの葉が爽やかで,とても気分のいい空間を作り上げてくれています。

 構内には,シマエナガやミヤマカケスなど北海道特有の生き物も見られ,キャンパスの植物空間が生物の生息環境を作り上げてくれています。この時期,梅雨のない北海道と言う訳だけではなく,鳥にとっての繁殖期でもあることから,躍動感の見られるのかもしれません。構内の道歩くとプラタナスの綿毛がふわふわと飛び,幻想的な光景も見られます。またバラなどの花も見ごろの時期を迎えている様は,ちょうど本州から1か月ずれたことを実感させてくれます。

 構内には川もあり,日本の大学でも豊かな環境を作り上げているようです。小川を見た時には,長期研究の際にお世話になった厦門市の華僑大学のキャンパス内の小川を思い出しました。キャンパス構内に水辺が有る環境は豊かだなあと思ったのです。同じように,北京市の清華大学も緑が多く,そして庭園があり,環境の豊かな大学でした。この二つの大学と,北大構内とがオーバーラップしました。キャンパスの整備や設計デザインにとても参考になる大学だなと感じました。

道も緑陰が綺麗です
芝生が美しいです
小川が有っていい雰囲気です


2022/06/02

うめきた二期工事

 うめきた二期工事が進んでいます。完成までには,まだもう少しかかりますが,日々,完成に向けて進められています。これからも定期的に見ていきたい施工光景で,完成が楽しみです。

 公開されているパース図では,緑豊かな空間に描かれていますので,わくわくとします。この空間がどういった緑の空間や場になり,その周辺域の「みどり」との連続性が作られ,鳥たちも飛来するのではないか,また都市の生物多様性にも寄与してくれるのではないかと,思うところです。

 周辺には淀川や大川もあり,今後の淀川の湿地,干潟の鳥の調査をゼミ生が進めることから,その鳥の移動経路にうめきた期工事の緑地空間が役立つのかどうか,とても気になるところです。時間的には,完成後調査,モニタリングを進めていく事で鳥の移動や生息の可能性も見いだせて行けるのではないかと思っています。

 ただ現状では,まだまだの状態。これからどういった空間のデザイン,そして植栽がされるのかによるでしょう。人の活動するための空間と,鳥が飛来できる植栽のそれぞれのデザインを考えてみるだけで楽しめそうな研究になりそうです。

是から楽しみな光景です


2022/05/30

エキスポシティ

 万博公園での鳥類調査をするために,朝早くから行かなくてはなりません。鳥類調査は明け方あたりから午前中前ぐらいが鳥を見るに最適な時間だからです(Colin J Bibby et al. 2000)。鳥の活動時間に合わせての調査という事です。夕方あたりでも鳥は活発に動いていることから,その時間帯でも良いのではと思う時もありますが,今までの調査の事を考えると朝のみの調査がやはり良いと判断しています。

 朝早めに行くため,エキスポシティの横を通ると,ほぼ人がいません。当たり前ですが,エキスポシティがまだ時間が早すぎて開園していないことも人がいない理由です。通勤通学の方がちらほら見られるだけです。コロナ禍では,ほぼ誰もいませんでした。今年に入り,ある程度人が見られるようになった早朝の光景ですが,鳥にとっては動き回る時間。エキスポシティの朝日を横目で見つつ,いそぎ万博公園に行くところです。

 調査が終わると人があふれているエキスポシティですが,人の居ない都市空間と人の居る都市空間のギャップが面白く感じられる朝の光景です。

朝の光景


2022/05/05

鯉幟

 四月の後半に入りだすと,端午節の鯉幟がそこかしこで見られるようになります。私が九州に住んで居た時には,農業の地域において,鯉だけではなく,大変立派な幟,武者織も見られ,季節感を強く感じたものです。ここ京都では,武者織よりも鯉幟が主流のようです。とはいえ,京都市内では,沢山鯉幟が揚げられている訳ではありません。学校や幼稚園を中心とした場において揚げられていることが多いようです。

 家の近所の保育所で揚げられている鯉幟を見ると,青空に映えて,やはりいいものだなぁと感じました。写真ではなぜか真鯉のみでしたが,数日後には緋鯉や青鯉も揚げられました。

 鯉幟は,歌川広重の名所江戸百景の夏の部,64番の「水道橋駿河台」にも大きく描かれ,記憶に残る構図です。少なくとも,この時代には既に鯉幟は街中で掲げられてきたのでしょう。鯉幟は,中国の後漢書(后汉书)の巻六十七による登龍門(登龙门)からとも言われていますが,そこまで古い歴史なのだなと感じます。今では生活の中に溶け込む四季の光景です。

泳いでいます


2022/04/30

淀川河川敷と鳥,そしてみどり

 大阪市の中心部を流れる淀川は,大阪にとっても大きな緑地を有する空間です。この緑と水の動線は,人にとっても生き物にとっても大切な空間といえます。今回,院生のフィールド調査でこの空間の確認に来たのですが,昔からそんなに変わっていないような,でも何かしら変わってきているような気がします。向こう側に新梅田シティやグランフロント大阪が見え,淀川のワンドにヨシやチガヤが生えて,鳥にとっても生息,繁殖の環境を提供してくれています。この日は,オオヨシキリ(Acrocephalus orientalis (Temminck & Schlegel, 1847))やセッカ(Cisticola juncidis (Rafinesque, 1810))が見られ,大変賑やかでした。このような大都市の街に隣接して緑の環境が見られるのは,水都大阪にとって宝のような環境だとつくづく思います。

 現在進んでいるうめきた2期工事と合わせて,緑のパッチ(patch)とコリドー(corridor)がどうなっていくのか,楽しみでもあり,気になるところです。大阪の街中の緑のポテンシャル,そして未来へ進んでいく次の緑の空間を考えてみると,色々と可能性が広がりそうで,気持ちも高まります。大阪の都市生態系にとって,どういった形になっていけれるのか,また生き物たちとどう付き合っていけるのか。都市に住まう私たちにとっての次の緑を含んだ「まちづくり」,そして生きた(活きた)まちづくりに向けて,思考も増えますし,視野も色々と見えてきそうです。

 さて,これからどういった鳥たちが見られるのか,この淀川河川敷だけでなく,周辺の環境も併せて,ゼミ生の調査と共に解析をしていければと思うところです。

淀川


2022/04/15

津和野の春の光景

 津和野は町の歴史が重層した光景がそこかしこに見られます。江戸から昭和へと続く時間の光景です。江戸のころからの城壁や通りや修繕された建築。明治期以降の建築や区割りなど,栗本格斎翁が描いた「津和野百景図」の幕末の空間がそこかしこに見てとれます。

 写真のような蒸気機関車が走っている状況は,懐かしさも併せて何とも良い光景です。汽笛の音も合わさってサウンドスケープが素晴らしく,その場で立って見ていたり,蒸気機関車にひかれる客車に乗って車窓を眺めても空間の楽しさがあります。ちょうど春の風景としての菜の花が咲いて,津和野川の鉄橋を蒸気機関車が煙をもうもうと出しながら走り,汽笛を鳴らしてくれているのは,視覚,聴覚,臭覚といった感覚を楽しめる空間を提供していると言えるでしょう。

 単にノスタルジック(nostalgic)な空間ではないのかという考えもあるでしょうが,人の記憶のノスタルジア(nostalgia)は,経験したことだけではなく,先達から聞いた話や書物からの情景などが重層化しての一部でもあり,形容しがたいものかもしれません。今回の津和野での光景は小学生の時,同じように蒸気機関車に乗せてもらった記憶とオーバーラップして,感慨深いものを感じました。

3月下旬の光景です


2022/04/01

気仙沼市震災復興祈念公園

 震災復興祈念公園が令和4311日に開園したと聞いて,314日に行きました。気仙沼市の陣山の上に「祈りの帆」のモニュメント,そして3つの彫刻と,亡くなった方々のお名前が刻まれた空間があります。自身も神戸での被災者だったことから,神戸の東遊園地の祈りの場とオーバーラップするのですが,この公園の存在意義はとても高いと感じました。これから色々な意見が出てくるでしょうが,私個人としては訪れて,良い公園だなと感じました。何よりも祈りの場と,それに連なるモニュメントの空間。この祈りの空間が被災者にとっては,つらい経験を改めて思い出したとしても,それをつつんでくれる公園の様な気がしたのです。

 この公園に孫と一緒に訪れていた被災者の女性に話を聞いた中でも,公園が作られてよかったとの意見が聞きけました。楚々とした高台にある祈念公園ではあるものの,気仙沼市にとってとても重要な,灯台のような公園になっているのではと強く感じました。

 被災地での震災祈念公園は東北各地に設置されています。その公園を見てきた中で,どの公園にも存在意義を感じます。その中でも,この気仙沼市の震災祈念公園は,改めて考えさせてくれる公園ではないかと思うのです。大きな公園にも多くの意味はありますが,私にはそれ以上にこの気仙沼市の公園は,震災に向き合えられる公園だと感じました。今回,調査ではありましたが,大学での講義でも伝えたいと思い,各地の祈念公園を回りました。その中でも,私にとってこの公園は,機会を作って,ぜひ訪れてみたいと唯一感じた公園でした。

彫刻は考えてもらう装置

祈りの帆(セイル)伝える意義


2022/03/25

平等院とカワセミ

 日本造園学会の研究推進委員会に日本庭園のこころとわざ研究推進委員会があり,作庭記から,日本庭園を探っているところです。私もメンバーとして,当時の社会や信仰,思想,文化などから作庭記を読み解こうとしているところです。作庭記は,平安時代に橘俊綱が書かれたのではと言われています(諸説あります)。この橘俊綱の事を書かれたものに「今鏡」の巻四があります。そこには,宇治平等院の事も書かれてあり,気になって,久しぶりに平等院へ行ってきました。建築はそのままでしょうが,庭園に浮いては当時と比べて,だいぶ形状は異なっていると思われます。特に宇治川との動線,空間の形は違うので致し方が無いですが,当時を想像すると,思い浮かびそうで中々難しいものです。宇治川との接続はどうだったのか,今は無い巨椋池との湖面との関係はどうだっただろうか,対側にあったと言われる橘俊綱の伏見山荘との違いはどうだったのだろうか,夜の時に火が入った際の,この宇治の空間はどう見えただろうかと,色々と思いをはせていました。考えてもなかなか答えは出ません。また史料を基に試行錯誤しなければならないような気がします。

 見ている中で,カワセミが平等院の庇に泊まり,池面を眺め,おもむろに小魚を取って食していました。鳥にとっては今が大事であることを何かしら教えてくれたような気もします。

池面を眺めています

州浜と池


2022/03/01

高砂市の竜山と眺望

 西明石から姫路の間で山陽新幹線の北側の窓から眺めると石切り場が見えてきます。その石切り場は,竜山石採石遺跡のある場所で,国の史跡にもなっています。その史跡の少し東側には竜山があります。標高が92mの低山ですが,播磨灘や姫路から明石,神戸,淡路島などの眺めが一望できます。竜山石採石場には「觀濤處(かんとうしょう)」と言われる大変立派な岩壁面に書かれた文字があり,ここから播磨灘が望めたと言われています。この間までは,樹木が繁茂していたので,海を眺めることが難しかったのです。そこで,伸びすぎていた樹木や繁茂していた樹木を令和42月に整理して,今では見通すことが出来ています。

 その觀濤處をあがっていくと古代の石切り場ではないかと言われ場所に出てきますが,竜山に向かう山道がとても楽しい道になっているのです。道の両横にはネザサやウラジロガシなどの樹木が塀の様に並び,小さな山なのに歩くと楽しい景観を作りだしてくれています。その楽しい道を超えていくと,南に歩けば播磨灘の広い眺望,北に向かって歩けば,竜山石採石遺跡と石の宝殿のある生石神社。歩いていくと,前に待っているこれらの場は,装置として大変楽しい仕掛になっています。空間を上手く使った装置と言えるのではないでしょうか。

 この竜山や加茂は,地元の人たちが毎日登山をしている人もいるそうで,神戸での六甲山の毎日登山みたいだとつい思いました。国史跡でもある竜山石採石遺跡も高砂市の大切なものですが,この山道と海が見られる眺望も大切なものだと言え,ずっと残ってほしいものです。

わくわくする山道

播磨灘を見渡せます


2022/02/19

東横堀川護岸空間とゲニウス・ロキ

 東横堀川は私が思っていた以上に綺麗に整備がされていました。昨年の晩秋辺りから何度かここを水上から見たりしてきたのですが,今月になってこのβ本町橋に下船して少し界隈を歩いて,水都大阪の新しいウォーターフロントを目指しているのだなと感じました。私が学生の頃には,ここを訪れたことがあったのですが,あの時は昭和の残り香があるような商業空間だったような記憶が残っています。現在の今では,街中の緩やかな水と緑の空間を創出している感じを強く受けます。ここは,周辺で働いている人にとっても「楽しみ」と「賑わい」を見つけ出せそうな,そして,季節によっては穏やかに休める空間になっていると思われます。

 東横堀川の整備空間は,川に向かうステップ状の階段形状の石材ベンチ,使っている人にとっては開放的であるけれども人の視点を感じなくてよい空間を構成しています。そして,その空間は人の目もあることから安心安全な「場」にもなっているのが良くわかります。街の中での公共的な空間に死角があることは,良くないと思っています。そういった点を上手く回避できているのではないかと感じる設計,デザインになっているのではないでしょうか。

 またここでは,大阪にとって重要な碑も設置されています。日本永代蔵の井原西鶴の碑,「西鶴文學碑」があったり,諸説はありますが仮名手本忠臣蔵でも出てくる儀商としての天川屋儀兵衛こと天野屋利兵衛の「天野屋利兵衛之碑」を設置されていたりと,大阪の歴史と文化を垣間見られる空間にもなっています。こういった空間の活用はその場所の過去をつなぐものとして大切です。

 実はこれについて,私は大学の講義でも話しているのですが,「クリスチャン・ノベルグ・シュルツ(Christian Norberg Schulz)」の「Existence Space and Architecture1971)」や「Genius Loci1980)」に「地霊(genius loci:ローマ神話における土地の守護精霊)」といった記述があります。こういった碑は,過去と今をつなぐ「地霊」としての役割も担っているのではないでしょうか。ちょっとした意識をつなげることで,その町の歴史や空間性をより深く感じられるかもしれません。街の中にあるちょっとしたオープンスペースでも学べる場としての活用が見えてくると感じます。

ここは大阪でも古い船着き場です

春になると桜が咲きます





2022/02/09

垂直の庭

 新山口駅の通路に壁面緑化がされています。Patrick Blancさんのアート作品の一環でもある「Vertical Garden」です。完成は201510月。大変大きな作品で100m×50mの壁面いっぱいに植物が配置されています。もちろん植物ですので,自動潅水式による散水もしっかりされています。この新山口駅は,津和野の日本遺産の調査で2016年に下車して以降,気になる壁面緑化でした。それからしばらくしての2021年末に再び見ることになり,壁面がしっかりと保っていること,そしてこの新山口駅の空間に溶け込んでいるなと感じました。植物は地元の植物を中心に植えられており,とても好感を持ちました。壁面だけでなく,地上部にも植栽され,ベンチもあり,駅での穏やかな空気感を作り上げてくれています。緑の使い方にいおって,空間と一体化したこの作品は訪れる人にとっても良い刺激があるのではないだろうかと感じるところです。もしかすると,この垂直の庭があって当たり前の空間になっていることから,空気感的にも馴染んだ風景になっているのではないでしょうか。

 垂直の庭のあるこの新山口駅。昭和の終わりですが,祖父に津和野に連れてもらった時の駅名は,小郡駅でした。ホームに立つと小郡駅当時を思いだすことが出来ました。そこは古い雰囲気をまだ保ちつつ,この垂直の庭のある新しい空間とうまく調和し,線引きが出来ているなと感じました。町それぞれによって,様々な表情があります。新しいものと古いものがうまく次に繋がっていく空間づくりは大切だなと強く感じます。「絶つ」のではなく「つなげ」そして「つむぐ」。この流れは街の歴史を良い方へ作ってくれるのだろうと思います。これは新山口駅の垂直の庭がうまくつながっていくのではないかと感じるところです。この5年間,見た中での経緯でそう感じました。これから来年度も津和野へ行く機会がありそうですので,何度も新山口駅には訪れられそうです。そのたびに楽しく見させてもらおうと思っています。

みどりと駅


2022/01/22

青野山と麓の遥拝所

 青野山(あおのやま)は国の天然記念物,名勝に指定されている山です。アダカイト質安山岩の溶岩ドームによる山で,見ると優しい雰囲気をもつ美しいお山です。日本遺産の「津和野百景図」にも何枚も描かれているように,津和野の町にとっては大切なお山です。この活用や整備について,これからしばらくさせてもらうのですが,山には信仰の場として頂上近辺に山王権現様が祭られています。その権現様まで行けない参拝の方向けの信仰の場として,青野山の麓にも遥拝所がかつてあったようです。これから調べていかなければいけない部分ですが,今でも鳥居が残り,そして石積みが残っています。かつては近隣集落によってお祭りも昭和の時代には有ったと聞いていますが,近年は行われていないようです。遥拝所が無くなった経緯は,これから調べていくと明らかになるのかもしれませんが,地元の方に早めに聞かなければわからなくなっていくような気もしています。こういった古くからの行事や風習などは,途切れていくと徐々に風化されていきます。それがいい場合もありますが,ここはそうはいかないかなと考えています。

 かつては,しっかりしつらえた石積みも風化してきています。崩れている箇所も確認できていることから,どこまで整備を考えていくのか悩ましい所です。そして,何よりも杉の木々が大系木化し,石積みした石材への圧迫もどうやらみられるようです。ここは登山道でもあるので,安全性も踏まえると,これらの木のことも考えなければなりません。石積みを直すのも必要な場合がありますが,直さないのも一つの選択です。これは,「朽ちていくのも一つの景観」であるからです。ただそこには,安全性も考慮しなければなりません。史跡や名称といった文化財の活用を考える上では多くの問題も山積しています。個々の整備が良い整備につなげればと思っています。


鳥居です

遥拝所跡の石積み

2022/01/12

津和野藩校と津和野百景図の活用

 昨年下半期より津和野町にある青野山の整備に関わっています。その話し合う場所として津和野藩校養老館で行われました。こういった会合の場所で藩校での利用は,私にとって初めての経験で大変新鮮でした。洲本市でも国名勝の旧益習慣庭園の整備や保全の打ち合わせでは純日本家屋の空間で行われるのも,心落ち着くものですが,この津和野藩校は中を上手く残しながら,リノベーションされており,外から見えない冷暖房完備は驚きです。文化財の価値をそぐわないように活用する良い事例の一つかと思います。全てオリジナルに戻すことは可能でしょうが,直すべきものと,活用すべきものを上手く考えた例かと思います。ここは島根県指定史跡でもあること,昨今の文化財活用を踏まえたこと,また伝統的建造物群保存地区でもあることを考えてみると,その整備には苦労もあっただろうなと感じます。

 注目したいのは藩校建築の内部で,江戸期の雰囲気を保ちつつ,学べる空間を維持構成していることです。そして,中庭も丁寧に整備されており,江戸の雰囲気を感じつつ,江戸から令和に繋がる時代の変遷で,良くこのようにしっかりと残ってきたのだなと,徐々に感じてくるものがあります。次の会合も楽しみです。

 数年前の平成の最後のあたり,2か年弱の期間ですが,日本遺産の「津和野百景図」の中の景観,地形,文化財,植生,生き物などについて景観生態と緑地計画の視点で調査を依頼され,全町域,旧津和野藩全域を回ってきたことがあります。その時,子供の時に訪れた時の津和野の街並みが変わっていないこと,そして改めて町全体を回って初めて知ったことも多く有りました。驚いたことに,この百景図の作者である栗本格斎(栗本里治)が見て絵で残した空間と同じなのだなと強く思いました。格斎翁が仕えていた幕末の津和野藩主・亀井茲監の時と同じ光景だということが江戸と令和を結ぶ面白さと時代を残してくれたことのありがたさを感じました。

 藩校の活用は目に見える利用については多いですが,この百景図は中々活用をするにあたって,観光や学習など,媒体としてまだまだ利用できそうです。学ぶことにおいて,この空間が残っていること自体ありがたいことです。歴史と時代を見えない線をむすぶ大きな役割を「津和野百景図」は担っています。絵ですが,それだけでも活用ともいえる一つかと私は思うのです。

養老館の中庭です


2022/01/03

上七軒のお正月光景

 新年に入り,上七軒を散歩がてら通りました。上七軒の近所の北野天満宮さんは非常に沢山の参拝客で,迂回しての移動です。コロナ禍の中,多くの人が参拝される光景を見るのは,2年ぶりです。人が余りにも多いので参拝はあきらめましたが,上七軒では人込みも無く,穏やかに歩けます。ただ,人よりも車が通るのが多いですが,車道ですので致し方ありません。

 花見小路通や一年坂,産寧坂も同じですが,景観を考えて地下にライフラインを埋設されているので,すっきりとした景観が見られます。無電柱化事業です。また,石畳でもあるので,そういった点では景観に配慮した空間を維持されていると思います。京都の街中について,電線等を地下埋設に順次進めたいと市は言っていますが,中々進まない中でもピンポイントで景観上大切なところから進められています。予算が掛かりますが,どこまで進めていくのかも興味深い所です。

 街の中の景観は一長一短では構築できないもので,街に住まう人,使う人の醸成によって構築されて維持されていきます。そこに風習や文化などといった,時間のデザインで作り上げられていくものです。難しいものではありますが,長く続けられる景観であった欲しい所です。

人は少ないです