2011/06/30

茅の輪くぐり

 夏越のお祭り、茅の輪くぐりは、今日、京都の各地で行われています。写真は、護王神社の茅の輪です。茅の輪くぐりを初めて知ったのは、東京で働き始めた最初の夏、職場の近くの湯島天神で茅の輪が作られているの見て、職場の同僚に聞いて教えてもらったのが最初です。同僚からは、茅の輪のくぐり方も教えてもらいました。

 こういった風景は、地元の神戸須磨にもあるのでしょうが、自分が住んでいた地区では、目にすることがなかったのです。もしかすると、目にしていたかもしれませんが、そういった行事に対して意識していなかったのでしょう。営団地下鉄(今はメトロ)湯島駅から降りて、歩いて天神さんの境内を抜けて職場に通っていましたので、必然的に目についたといった感じです。

 湯島の天神さんの茅の輪を見てからは、東京の街中の、昔ながら続いているそういった風景を注意深く見るようになりました。そのころをきっかけに、東京の街がだんだんと好きになっていったような気がします。街の風景の変化が激しい都市ではあったのですが、そういったふっとした空間に、昔ながらの風景が残っていること。それが東京の魅力的な側面だと今では強く思っています。特に、風景や景観の調査をするようになってからは、地区や地域をゆっくり見ることが増えました。京都でもそういった行事がたくさんあることに気づきます。またそういったことを記述していきたいと思います。

護王神社の茅の輪

2011/06/29

鴨川のゴイサギ

 鴨川河川敷を移動している際に、ゴイサギ(Nycticorax nycticorax)を見かけました。採餌の最中です。飛び跳ねるカワムツNipponocypris temminckiiの幼魚をうまく捕らえて捕食していました。鳥の中でも官位を持つ鳥です。なにしろ漢字で書くと「五位鷺」と書かれます。鴨川でも存在感がある鳥です。

 頭に冠羽を持っており、まさに五位をもった鳥類と言った感じを受けます。ゴイサギの季語は、「夏」です。夏らしい鳥なのでしょう。よくはわかりません。学生の時の鳥類調査の際、このゴイサギは、神戸西区の調査地において、あまり見かけませんでした。博多でもさほど目にするほどではなかったのですが、京都に来て、よく目にするようになりました。鴨川河川敷を歩くと、良く見かけるからです。

写真撮影している際、ゴイサギ自信、こちらの方がだいぶ気になるようでした。魚を捕獲するための集中力と、人間への警戒心。なかなか、大変そうに見えましたが、気にせず写真を撮りました。
採餌中のゴイサギ

2011/06/28

明石城の風景

 JR明石駅のプラットホームに降り立ち北側を見るとお城があります。明石城跡です。伏見城を移築したと言われている坤櫓が西側にありますが、写真は巽櫓で、築城当時、新築で建てられたものだそうです。このお城の石垣は、高さがあり、その石垣の上にある櫓が美しく築造されています。明石駅前にあるこの城跡は、市民にとっても憩いの場であるのに加えて、史跡としても大きな価値を持っています。

 阪神淡路大震災の際には、お城の石垣が膨れたような感じで崩壊しそうでしたが、その後、修復されて美しい穴太積みの石垣を見せてくれています。震災で傷ついた文化財や史跡を維持することの大切さ、それを後世へつなげていく重要さを感じました。もし、明石城の石垣や櫓が無くなってしまうとどうなのだろうと考えると、地域の人にとって有って当たり前のものが無くなってしまうと、その人の中での記憶も欠けて行ってしまうのではないかと思わざるを得ません。

 文化財や史跡だけではなく風景など日ごろ見られているものは、見ている人にとって大切なものです。そういった街の中の要素が、この日本では、気が付くと無くなっていたり、壊されたりして変わっているものが多いと思います。街のダイナミズムと云えばそれまでなのかもしれませんが、本当にそれでよいのだろうかと考えてしまいます。明石城のように管理されている空間と私的な空間で管理がされていない、個人任せによるものもあり、難しい問題です。

明石城の巽櫓

2011/06/27

ハシブトガラスの遊び

 京都市街地内での鳥類調査をゼミ生が進めています。調査指導で同行していつも目に付く鳥類は、都市型鳥類と呼ばれる鳥たちです。その中で、必ず調査確認できるのが、写真のハシブトガラスです。前回にカラスについて少し書きました。今回は、彼らの朝の行動を少し考えてみます。

 ハシブトガラスには、塒(ねぐら)があります。その塒から、大体朝の明るくなる前より移動をしているようです。朝ごはんを目指して、三々五々に飛び立っていきますし、またはまとまって移動していくようです。餌場となるのは、都市であれば、ゴミが出されてある場所です。ご馳走を見つけると早速食べ初めます。カラスにとっては、普通の行動です。そのために、ゴミ捨て場でのビニールを破き、饗宴後のホールのような状態に散らかしているわけです。

 食事が済むと休息や遊んだりしています。以外かもしれませんが、カラスはどうも遊びのではと思える行動をしているように思えます。例えば、止まるための避雷針の先端部の取り合い、小さなボールでのくちばしを使ったキャッチボール、光物の取り合いもあります。こういった行動の中でも、今まで取り合っていたような執着している物についても飽きると捨ててしまう行動や長い時間遠くを見つめて、どうものんびりやすんでいる(敵が周りに居ない場合です)状態。長く見つめているのは何かカラスにとって興味を引く何かがあるのだと思います。こういったことは人と同じだなと感じることがあります。

 カラスには、興味深い様々な行動が見られます。それらを見ていくと、思っていた以上に面白い鳥だと感じてくれるかもしれません。私の講義でもカラスの話をしますが、毎年、新しい知見が出てくるので、新たな話が進められます。面白い鳥類の一種です。



遠くを見ているハシブトガラスたち

2011/06/26

夏空と電線

 京都らしい夏の暑い温度。徐々に、気温が上がっていくお昼前。梅雨であるのに、この週末は、良く晴れていました。大学に向かう途中の一コマです。初めは、小さな白い雲だったのが、ぐんぐんと青から白い色の部分へと変化して行きます。遠くにあるものは、どちらかっと言うと平面に近いはずなのに、この雲は、立体的に見えてきます。

 どうして立体的に見えるのでしょうか。どうやら目の前に線があることが答えだったようです。電線の線が、手前の空間を示し、その向こう側は、また別の空間を構成しているように思えます。写真の中でも、ちょっとしたアクセントの違いで、見るもの、見られるものが異なってきますね。夏の空と電線のモチーフは、自然のものと人工的なもの構成です。電線は、街の中で色々な表情を見せてくれる大切な要素と私は思っています。こういった風景も、ちょっとしたことなのですが、私にとっては目を楽しませてくれますし、色々な記憶が入道雲のようにたくさん沸いて出てきます。

 景観を読み解く時は、主観が多く、客観性を持たせることが大変難しいです。この写真でも、どこまで客観性を持たせて語ることが出来るのか、難しいと思います。とはいえ、風景や景観を読み解いていくことは、思ったより難しそうながらも、ゆっくり見ていくと色々な答えが出てきて、自分なりの答えが見つかると思います。

夏の空

2011/06/25

音楽の時間

 府立大学に来て良かったと思うことがあります。そのひとつが大学の真横にコンサートホールがあることです。加えてもう一つ良いことは、京都市には楽団があることです。京都市交響楽団と京都コンサートホール、大学の横にあることは、音楽の楽しい時間を過ごさせてくれます。東京で働いているときにも、職場の近くだった上野などのホールへは行っていましたが、今のように職場の真横ですぐそばにあることは、わくわくするほどうれしいものです

 今回、聞いたのは、第547回の定期演奏会です。マルクス・グローさんによるリストのピアノ協奏曲の演奏。まさに圧巻でした。ピアノの音が交響楽団の音と調和し、昇華しているような感じを受けたのです。調和といってもいいのか、ピアノの音が、弦楽器と織り成しているような、目に見えない織物を耳で見ているような錯覚を覚えました。

さらにアンコールで演奏してくれたシューベルトの「ます」編曲で、音が飛び跳ねているような、鱒が川面にいる蜻蛉を捕ろうと飛び跳ねているような、そんな感じを受けました。その後のチャイコフスキーも良かったのですが、それ以上にピアノの音がまだ頭の中では飛び跳ねている、そんな余韻も残っています。仕事の疲れも、飛んでいくような感じです。

 彼のメッセージがホールで提示されていました。ゲーテの“Die Geister, die ich rief…Der Zauberleherling(“私自身が呼び起こした霊たち…”魔法使いの弟子)彼がメッセージの最初に書いてあった一節です。彼自身、チェルノブイリ事故の時に16歳で、ヨーロッパでの放射能の問題に体感した人だからこそ、そのメッセージが重く感じました。私とほぼ同じ年で、世界の移り変わり、ソビエト連邦の崩壊やベルリンの壁の崩壊、東西ドイツ統一などもほぼ同じように見てきた中で、重いメッセージを発信できること、音楽家としてできることを示していること、頭が下がる思いがしました。

 自分には何ができるのだろうかと、真剣に考えなければならないと感じました。

リーフレット

2011/06/24

四条通の夕刻点景

 一瞬の風景です。雨が降り続き、急に雨が止んだ後、雲間が少なくなり、それが徐々に空の面積を広げていく夕刻に近づく時間。淡い赤紫の夕焼けが、すーっと色を変えつつ、周りの街灯や車の明かりが、沈みかかっている空の色を逆に浮き上がらせています。

 空気の澄んだ夕刻のほんの少しの時間です。わたしは、この一瞬の張りつめたような、それでいて色が徐々に変わっていく、空間も徐々にその色になじむように変わっていく様が好きです。朝の変化も美しいのですが、夕刻の沈みゆく時間の色の変化は、とても美しく感じるのです。

 空間に見られる様々な色の変化は、風景の時間の変化に華を添えるものではないかと思います。それだけに、一瞬の変化の大切さが有るような気がしてなりません。

夕方の点景

2011/06/23

街路樹と鳥類調査

 朝、5時過ぎから鳥類調査をしてきました。研究室の学部ゼミ生の指導を兼ねてです。朝の京都の街中は、まだ街自体が動き出す前なので、街の中でも調査はしやすい感じです。ゼミ生の調査は、ルートセンサスによる鳥類調査で、視認により確認し、記録していく方法です。
 街中の街路樹の状態や周辺の緑地の状態によってどう鳥類の飛来が変化するのかをモニタリングし、科学的に探ろうとしています。この調査から、今後の街路樹のあり方や、緑地の設置への基礎的な情報、データを示せられることになればと考えています。

 思っていもいなかった意外な鳥種も確認でき、市内中心部での鳥相もなかなか面白いものだと思いました。また、街路樹や周辺緑地の状態によっては、鳥種も変化し、思った以上の成果が上がるのかもしれません。

 フィールド調査は、朝の早い時間からの調査で、いわゆるサマータイムをすでに実践している感じを受けます。夕方には眠たくなってきますが、研究室のフィールドでの調査は、いつもこのような感じです。

学部ゼミ生による鳥類調査中

2011/06/22

夏至の京都御所と鳥調査

 今日は、二十四節季の一つの夏至の日です。明け方過ぎからゼミ生と鳥類調査で御所界隈に行っています。御所辺りに差し掛かると、シジュウカラをはじめ様々な鳥たちの声が鳴り響いています。御所の門と横に大きく生えているクスノキやケヤキ、ムクノキなどの大木の葉っぱの隙間から太陽が差し込む様は、とても朝の鮮やかさを感じます。特に今日は夏至で、一日の昼の時間が最も長いことと、梅雨の晴れ間で太陽が見られたこと、良い一日になりそうな気もします。

 今、ゼミ生が進めている鳥の調査は、早朝に行なっています。朝早くから調査をするとその後の時間が多くあるような感じを受けます。夏時間のような感じです。生き物の活動、特に鳥たちの活動時間では、早朝の方が調査しやすいことが、多くの研究成果から示されています。都市の鳥類ではどうでしょうか。

 昨年行った堺・泉北臨海工業地帯での鳥類調査では、早朝よりも少し時間がずれていた方が多く確認できたような気もします。京都市内では、今の所、模索中ですが、人の活動が午前6時頃から多く動き出すので、それが目安のような気もします。

夏至の日の京都御所

2011/06/21

シジュウカラの営巣

 府立大学の構内に巣箱が一つかけられています。今年、その巣箱の中にシジュウカラ(Parus minor)が営巣を始めました。2年前は、ヤマガラが出入りをしていましたが、営巣には至っていませんでした。2年越しで、今年初めて営巣を確認できました。
 親鳥が、巣箱の中を出たり入ったりしています。入ると巣箱の中がヒナの声で充満し、巣箱の外まで聞こえてきます。なかなか、にぎやかです。シジュウカラの食性は、昆虫類や木の実など様々なものを食べます。鳴き声もきれいで、大学構内でよく鳴いていますので、鳴いている声を聞いたらぜひ見渡してみてください。胸に黒い色のネクタイを締めたようなスズメぐらいの青色がかった鳥がいるはずです。

尾羽が出ています

2011/06/20

先斗町の点景

 四条通から上った直ぐの箇所での点景です。観光客の方が多く写真を撮影する場所でもあります。日本の、京都の路地空間らしい感じを受けます。海外の観光客も多くが撮影をしている場所でもあるので、日本的な空間として感じているのかもしれません。電線や電柱、道の幅、お店の看板や隣家との隙間が少ない空間。かつての先斗町はどんな風景を醸し出していたのだろうかと思います。

 先斗町の通りの空間は、人の目線、視野に入る要素の占める割合を見てみると、空の面積は少なく、人工的な構造物によって多くの面積が占められています。しかし、それが厳しく圧迫した感じをさほど受けません。観光客が多くあふれている時期などでは、圧迫感を多く受けますが、視野の中へ行き交う人がさほど多くない場合、それら人工構造物は、空間と調和しているようにも思えます。

 風景、景観は、見る人によって大きく感覚が異なってきます。感覚の違いを統一するのは難しく、それを数値データ化することは、とても厳しいのではないかと思わざるを得ません。大多数の人の認識で、「良い空間」として提示されれば、「良い空間である」と言われやすくなるようです。しかし、大多数の人が思う良い空間とは、そもそも何でしょうか。

 この先斗町の点景でも、よい空間と思う人と、よろしくない空間と思う人、見る人の数があればあるほどその感想も多くなっていきます。良い空間、悪い空間には、風景に対して何かの法則があるかもしれません。

四条通上る点景

2011/06/19

四条大橋からの床風景

 京都四条大橋から鴨川を眺めるとたくさんの床が連なっているのを眺めることができます。京都の夏の風情が垣間見ることのできる一つの風景です。床を使うと、川面から流れる風が心地よく、とても緩やかな時間を、お店によっては過すことができます。夜、京都の街の中の光が、川面にふらふらと映りこんで、それが時間と川面の風と相まって、とても緩やかな気持ちにさせることもできます。「時間を得る」、「風景を身近にする」といった事かも知れません。昼間の床は、夜の人出にそなえての静かな時間といった感じでしょうか。

 「風景を切り取ること」は、身近な素材でいくつでも体感できそうです。風景を切り取る、風景・景観を得ることは、時間を得ること、ある時間を得ることにもなるではないかと考えています。風景・景観、研究をしていく中で、既に見えてくるものだけではなく、時間のように見えないものも、ある別の視点から連想すれば、形が出来つつあるような気もします。この床の風景から何かしらの視点が見られそうです。

鴨川の床

2011/06/18

神戸須磨の花壇

 須磨一の谷にあるマンションの入り口に、花壇が置かれています。その花壇には、板で作られた棚があり、その上に盆栽が並べられています。多くの人が通る横に盆栽をそのまま置いているのです。きれいに手入れされた盆栽を置いているマンションとは、なんと粋なものだろうかと思いました。

 マンション入り口に、長方形の花壇が設置している状況を見ると、配置のバランスが安定していると思いました。ちょうどこのマンションは、勾配がある入り口であり、それに合わせて設置されているのは、なかなか良いと思いました。マンションへ出入りする際、ほぼほとんどの人の視野にその花壇の光景が入ってきます。その視野に入ってくるその花壇の見せ方、四季折々の花が咲いていくと楽しいのではないだろうかと思わざるを得ません。この花壇を作った人は、そういった点も考えたのだろうか、もしくは感覚的に作ったのだろうかと考えてしまいます。

 出入り口に、きれいに収まる花壇の存在は、その空間に生活をする人のみならず、そこを通る人にとっても良い効果を与えるのではないでしょうか。

花壇と盆栽

2011/06/17

京都の壁面緑化

 壁面緑化や屋上緑化は、ランドスケープをしている者にとって重要な研究テーマのひとつになります。特に、都市の気温の上昇などの対応に「緑」を活用することは、ランドスケープデザインへの必要な要素ともいえます。中でも壁面緑化は、現時点で良い点、悪い点は色々とありますが、それでもまだまだこれから発展できる余地の高いものです。

 名古屋で開催された万博会場で色々と示されてもいましたが、それ以降、街の中でさまざまな壁面緑化の施工が進められてきました。デザインは、ほぼ同じものが多いのですが、それでも改良されつつ進められているのが見て取れます。東京都心部では、その事例が数多く見られ、デザインや設置が多彩です。京都ではどうでしょうか。

 烏丸御池にある新風館には、一部壁面緑化を施したものがあります。ナデシコなどの花を加え、見た感じは少し柔らかい雰囲気を持った壁面緑化です。京都の中心部にこのような壁面緑化はまだ少なく、良い実物事例のひとつだと思います。近代建築の新風館と、この壁面緑化された空間は、思った以上に相乗効果を作り出していくのではないでしょうか。現在、商業施設であるこの場所へ訪れる人へのよいアプローチ空間を作り出しているような感じを受けますし、実際訪れる際に、この場所を通ることは、気分が和らぐものになっています。

 単に都市内での温度の問題だけではなく、心理的緩和への効果、そして緑をつながることができれば、生き物のコリドーやパッチの役割も極小ながら可能になると考えられます。今後様々な活用性を開発することができ期待できる「壁面緑化」です。

新風館の壁面緑化
壁面緑化の植物たち

2011/06/16

北大路大橋からの風景

 府立大学横には、賀茂川が流れています。一番近い大橋が、北大路大橋です。ここから北方面を望むと北山の連峰と舟形山が連なり、南方面を見るとソメイヨシノやケヤキの連なった河畔と南東方面には大文字の風景を望むことができます。写真は、北側を望んだものです。河川と中州、その横の堤と北山の山々。バランスの取れた風景と思います。

 この橋を通るときは、よく北側を見る機会が多いのですが、四季のうつろいをよく感じられる場だと思います。今の時期、夏に移りつつある梅雨の時の晴れ間は、空気も澄み、空が少し薄衣をまとったような青さが印象的で、心も少し和らぐような気になります。

 この風景は、行き交う人にとっても、興味を引くようです。この橋の上から写真機で風景を収める人を良く見かけます。これは、この場所が、通る人にとって、何かをひきつける風景なのかもしれません。恐らくその何かは、「バランスの取れた風景」ではないでしょうか。

北大路大橋から北側の風景

2011/06/15

野田川のサウンドスケープ

 与謝野町の野田川へ行きました。京都駅から出発し、昼ごろに北近畿タンゴ鉄道の野田川駅に到着しました。ホームにある待合室は、懐かしい感じのする建造物です。駅の周囲ものどやかな空間が広がっています。

 駅の周囲は、田植えをしたばかりの水田が見られました。そしてその水田の向こう側には、山々が連なり、里山が見られます。空を見上げると、山の向こう側から小さな入道雲が少し沸き立ち、梅雨の晴れ間の、もう初夏が来ている雰囲気を出しているようです。

 水田には、植えられたばかりの苗が、初夏の風になびいています。この水田の風景のなかで、多くの鳥の声が鳴り響いています。その中で一番聞こえる声が、オオヨシキリです。騒がしいぐらいに賑やかに鳴いています。そして、ヒバリの声。ヒバリの賑やかな声は、よく通り、そこいら中に広がっています。山のほうからは、キジやコジュケイ、シジュウカラやヤマガラ、イカルの声も聞こえ、鳥たちの賑やかなサウンドスケープが、作り出されています。この地区の小さな楽団があるのような感じです。音の演出と空の青さが相まって、とても豊かな地区の空間を作り出していると感じました。

 これだけ賑やかな、初夏に近づく田植え期の空間のサウンドスケープは、久しぶりに聞く複雑で調和した音源だ思いました。この地区に住んでいる人にとって当たり前かもしれませんが、これだけのサウンドスケープのあることは、とても心を豊かにするものではないでしょうか。都市の中には、これほどの豊かなサウンドスケープは、最近聞くことがありません。

野田川の駅の待合室と山々

2011/06/14

マガモ

 夕暮れの賀茂川を見てみるとカモ類が多くいることに気が付きます。写真は、マガモ(Anas platyrhynchos)です。賀茂川では、留鳥で、日本国内でも普通に見られます。中洲の間から急に出てきたり、川面に流れていたり、見ていて飽きのこない鳥類です。都市の中で、こういった生き物が生息できる環境を持っているのは、賀茂川の良い点でしょう。

 河川敷では、人が多く行き交います。それは朝でも夕方でも同じです。楽器の練習をしている人や運動をする人、散歩や休息でベンチに腰かけている人など、多くの人が河川敷を使っています。そういった環境で騒がしくとも、このカモたちは悠然と泳いでいます。あまり人の圧力を受けていないのかもしれません。もしくは、人の圧力を感じられないのかもしれません。

 都市に生息域を持つ生き物は、色々なパターンがあります。もともとそこに生息していた生き物、一度その場所を追いやられたが、再度戻ってきた生き物、その場所周辺では生息が出来なくなって戻ってきた生き物など、様々な移動が考えられます。生き物にとって、都市は生息しやすい環境なのでしょうか。
 調査を進めていく中で、もしかすると生息しやすい環境になりつつあるのではと思うことが多くあります。特に鳥類は、『順応性』の高いようですし、その他の生き物についても順応性が高いような気がします。
 かつて言われていた都市の生態系は、単純であるとのことは、今の時代決してないと思うのです。思ったより複雑な生態系を構成しています。それだけ生き物の種類が多く入り込んでいることになるのです。


賀茂川のマガモ

2011/06/13

高麗美術館

 京都の堀川北山を上った所、紫竹上岸町に高麗美術館があります。静かな住宅街の中にある美術館です。ちょうど「朝鮮のかわいいいれものたち」の企画展示を開催されていました。それぞれ用途に応じた「いれもの」が展示されています。この「いれもの」の企画展示の内容は、分かり易く説明されており、どう使われていたのかも垣間見えてきます。

 特に、「いれもの」そのもののデザインの質実さは、日本の町家に置いても合うような意匠が多く、民芸のようなものも見られ、美しいと思えるものが多くあります。また、水鳥や鹿、虎など生き物を素材にしたものや様々な植物など魅力的な意匠を施した「いれもの」が、たくさん展示されています。使われている生き物のモチーフは多種多彩で、見ていて飽きないデザインが多く、その簡素化した意匠は、事象物をより身近にしているものと思えます。また、それらの多くは、思わず微笑んでしまうようなデザインに仕上がっているのが特徴です。この展示されている「いれもの」は、朝鮮半島での生活の中で日々使用する物への人々の目線の在り方、視点の方向が見えるような気がします。

 この展示作品は、学ぶべきものがたくさんあります。工芸デザインや室内、住居系のデザインを学ぶ学生の皆さんには、ぜひ見てもらいたい作品展示です。

「朝鮮のかわいいいれものたち展」の展示期間は、2011710日までです。

高麗美術館敷地内

2011/06/12

街路景観の立葵

 烏丸御池の交差点を下る街路樹にタチアオイ(Althaea rosea)が植えられ、今ちょうど花を咲かせています。通りに花を咲かせている風景は、とても和やかな風景につながっているようです。この交差点は、往路幅が大きく、そのため交通量も高い環境です。そういった環境の中で花を植えているのは、歩く人にとっても気持ちの緩和など良い効果を生み出しているものと思われます。

 街の中の道路の景観に緑があることは、その街の風景をつくりだす良い要素だと思います。特に人の目線の中に入る場所に見える緑は、見ていて、とても気持ちの良いものだと思います。このように気持ちを和らげる要素があることは、京都の道路が危険なこともあって、それを緩和させる良い効果を演出できるきっかけになるかもしれません。

 京都は、「歩くまち」を提唱しています。しかし、住んでいて思うのは、まだまだそこまでいっていないといった印象が強いです。車が多く、さらに歩行者と自転車の分離が出来ていないため、歩くことに非常に危ない場面が毎日のように遭遇します。これは国際観光都市として非常に残念な点です。
 そういった中での街路沿いの花の演出は、少しでも気持ちを和らげるものとして、良いものだといえるのではないでしょうか。


烏丸通

立葵

2011/06/11

ツバメ

 北大路の界隈には、多くのツバメ(Hirundo rustica)が巣を作っています。この時期は、巣だったツバメと、再度巣作りをしているツバメが見て取れます。2月、バングラデシュ・チッタゴンでの調査の際には、多くのツバメが飛んでいるのを見ました。その中のいくつかは、京都へ来ているのかもしれません。そう考えると、その移動距離に驚かされますし、どれだけの個体が日本へ戻ってきているのだろうかと考えます。

 この賀茂川の上空を採餌するために飛行しているツバメをよく見かけます。河川で発生したカワゲラなどの昆虫類などを捕食しているようです。採餌場所と繁殖場所が近いのは、彼らにとって良い空間なのだろうと思われます。

 府立大学の構内を探してみたのですが、ツバメは巣を作っていないようです。賀茂川横の大学で、緑も多いはずなのですが、見かけません。スズメやカラス類の巣は多いのですが、ツバメの巣は見当たりません。彼らにとって、北大路の界隈の方が巣を作りやすい環境を持っているのでしょう。

北大路界隈で巣作りするツバメ

2011/06/10

二条城の夜風景

二条城の夜風景
 四条から堀川通りまで歩き、そのまま北上すると途中に二条城の隅櫓が見えてきます。そして次に東大手門がどっしりと構えています。周りの夜の色が、この大手門によく合っているような感じを受けます。漆喰と夜の黒さがよく合っているようです。

 京都の夜は、色々と思うところがあります。この二条城の空間を見上げると、その空間は江戸の頃の風景が見えてきそうです。時間を引き戻す建築の力と、長らくあった時間のデザインの力があるようです。風景を見ていく中で、なぜこの町の空間は、昼夜問わず、引き戻しの力が強いのだろうかと考えています。何かしらの意味があると思えるのですが、感覚ではない何かがよくわかりません。唯一分かるのは、長い時間が織り成しているといえるのではないでしょうか。

 ゆっくり歩いているときに、月がよく見えました。二条城東大手門の上にその月が少し輝いて見えました。自然の事象も大きな建築に花を添えているような気がします。一瞬の美しさかもしれませんが、夜歩いているときの楽しみの一つにです。

二条城東大手門と月

2011/06/09

アオサギ

 府立大学の横の賀茂川には、アオサギ(Ardea cinerea)が良く飛来しています。採餌するために飛来し、昆虫、魚類、甲殻類、小型哺乳類などを捕食している鳥類です。河川に飛来している姿を見ると、存在感があります。個体が大きいからでしょう。
 夜、搾り出すような奇怪な声を聞いたことがあると思います。その声の主が、このアオサギです。時折、昼間でもその声を聞くことがあります。

 この賀茂川では、どうも中州にあるアシなどの植物の間にアオサギが営巣しているような形跡を見かけます。普段は樹上性の巣をつくるはずなのですが、もしかすると賀茂川周辺域では、営巣する場所が無く、中州の地上部で巣を作っているのかもしれません。ただ、まだ抱卵や雛を確認しているわけではないので明確なことはいえないのですが。これから注意深く観察する必要があると思います。

 現在、研究室のゼミ生と一緒に賀茂川流域で植生、鳥類を調査しています。調査のたびに思いますが、やはり賀茂川は、環境が豊かな都市河川だと思われます。それだけ、様々な生き物が生活しているのを見て取れるからです。アオサギもその中の一要素です。


賀茂川のアオサギ

2011/06/08

須磨港跡の点景

 神戸市須磨区にある須磨港の跡です。以前は、淡路島の大磯港と結ばれていた港です。明石海峡大橋が出来るまでは、この港から淡路へ渡る車が数多くありました。私も子供の頃に父と釣りに大磯へ渡ったことがあります。今は、ショッピングや食事をする場所としてこの春、新たな施設が出来ました。新しい風景の創出です。

 この周辺は、妹尾河童さんの「少年H」の舞台になった近辺です。私も子供の頃、自転車に乗って来て遊んだ場所でもあるので、今の風景がとても感慨深く感じます。漁船とヨットが停泊する静かな港に変わっていますが、かつての華やかな港の光景は、今となっては昔です。阪神大震災を経て、須磨の港や海岸もさらに大きく変わってきています。風景の変化は、ある程度致し方無いものですが、出来れば変わってほしくないものもあります。

 人の生きていく時間は、そんなに長くありません。「子供の頃の意識をいつ頃から思えていますか?」と、神戸芸工大の院生として学んでいる時に、心理学系の講義で三木先生から質問されたことがありました。私は、3歳か4歳のときの記憶で、住んでいた須磨の家の庭と須磨の海岸のおぼろげな記憶があることを先生に言ったことがあります。先生は、「そこまで記憶があるのは幸せなことなのですよ」と言われたことを今でも思い出すことがあります。今、その記憶の中での須磨の記憶は、今に続いていくものなのだろうかと、この25年程ぶりに見る須磨の港跡の風景を見て、週末の天気の良い潮風に吹かれて考えました。

 思い出せられる記憶の時間から、たまたま生きることの出来た今の時間と、この先何年、生きられるか分からない中での時間の流れ。それが、風景にとっての記憶の中で変化することや、風景にとっての維持されることの重要性は、どのように考えたらよいのだろうかと、とても複雑に考えてしまいます。私は、阪神の震災後の学生時からそのことを考えることが多くなっています。しかし、まだ答えらしいものも見えてきません。この点も研究への大きな命題のようです。答えは見えて来そうで見えません。

須磨のヨットハーバーと漁港

2011/06/07

賀茂大橋の点景

 賀茂大橋から北方面を夕刻に見る風景です。青空から、刻々と時間が過ぎる夕方の茜色が徐々に濃くなり、濃い藍色に変わっていく。ほんの少し前の情景をみると、一瞬の変化ですが、とても美しいと思えます。その間に流れる雲の移動も、その茜色へのコントラストを強調していると思えるのです。
 京都の街中には、賀茂川が流れ、そこに掛かる橋からの景観は、美しい風景を見せてくれます。都市の中で、川の風景が美しく景観要素として、構成されているのは、京都の街の特徴ではないかと思います。絵になる風景といえる環境がそこにあります。

 風景を見ていくと、その時間の違いや季節の違い、そういった細かい少しの変化が、大きな変化になっていると気づかされます。風景、景観は、人の視野でとらえられるものです。もちろん手で触れられる触手の風景や香りの風景、音の風景など五感を感じられるものが、その現場に行くと体感できます。そのことが、風景や景観を学ぶ、研究していくうえでとても大切な項目の一要素になっていくものと考えています。
 見る人の生活環境や今まで生きてきた中での環境、大人なのか、子供なのかの違いや、女性、男性の違い、その生きてきた時代の雰囲気など、様々な要素が折り重なって風景、景観を感じるものだとも考えられます。
 とても難しい、命題なのが風景や景観ですが、見ること、感じることに関しては、そんなに難しく考えず、良い風景や景観を住んでいる京都で楽しみたいと思います。

賀茂大橋から北側の景観

2011/06/06

カンディンスキーと青騎士展

 週末に兵庫県立美術館へ「カンディンスキーと青騎士展」を見に行きました。この展覧会へは、前からどうしても見ておきたかったからです。この展示は、ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館所蔵の作品から、青騎士の活動を網羅的に示そうとしたものです。ヴァシリー・カンディンスキーの絵の変遷、表現への模索への変遷も感じられました。

 とても分かり易い展示で、色彩の変化、タッチの違い、カンバスの中の遠近や空間の配置など、見ていてとても勉強になりました。モダンアートへつながる絵画と、その色調の明るい雰囲気は、見ていて楽しい作品が多くあります。光や色が、音になって流れてくる、動きとなってうねりが迫ってくる・・・そんなような、感じも受ける作品もありました。今回見て、新たに感じたことは、彼らの作品には、抽象的なものの中にも現実的な雰囲気の方が多く漂っている感じも受けたことです。実際に見てそれを強く感じました。

 この絵画展を美術やデザインを志す学生の皆さんだけではなく、ランドスケープや建築を目指す学生の皆さんにもぜひ見てほしいと思いました。
 兵庫県立美術館での展示期間は、2011626日までです。

カンディンスキーと青騎士展

2011/06/05

ハシブトガラス

 京都府立大学には、二種類のカラスが見られます。
 ハシブトガラス(Corvus macrorhynchos)とハシボソガラス(Corvus corone)です。この中で、ハシブトガラスが幾つか構内で営巣をしています。学生たちは、巣の有る無しについて研究に関連することでも無いことから気にかけていることをしないでしょうが、見渡すと幾つか見つかります。もう少し季節がたつと巣立ちの時期になります。巣立ちの時期になると、おぼつかない状態で動き回っている若鳥の姿を見かけますので、気をつけて見ていると、巣立ったばかりだと動きでわかります。

 この構内では、早朝に、ハシブトガラスがゴミ箱をあさっています。前日のごみ清掃以後に廃棄されたゴミが、カラスのごちそうになっているわけです。掃除をされている方は大変です。早朝からあっちこっちにとゴミが散乱しています。このことは、捨てる側に問題があり、カラスがすべて悪いわけではないともいえるのです。ただ、やはり清掃の方は、掃除が大変です。
 私のマンションでもゴミをちゃんと出されない方がいます。前日に出してしまうのです。そうなるとカラスのごちそうが出てきてしまい、荒らされてしまいます。管理人の方は、片づけに大変です。でも「カラスも生きていますからねぇ」と言った言葉を聞いて、なるほどなあ、やさしいなあと思うことしきりです。

 ハシブトカラスたちは、Jungle Crowと英語表記されます。この英語表記に示されたように、ハシブトガラスたちはもともと樹林地の鳥だったといえます。町に進出し、その町が、樹林地の役割を示したといわれてもいます。例えば、電信柱や高層建築群など。上から見下ろして採餌するものを探すのが習性ですから、都市は、彼ら彼女らにとって住みやすい空間なのでしょう。都市の空間を生き物の生息空間と見てみると、様々なものが見えてきますし、思った以上に接合していると思わざるを得ません。
 ハシブトガラスは、賢いともいえます。私たちの生活や行動のパターンを良く見ているようです。そういったことは、また次に書きたいと思います。

ハシブトガラス

2011/06/04

叡山の景観

 紫明通を堀川通りから賀茂川へ向かって行くと加茂街道につきます。その先は、賀茂川です。この紫明通から賀茂川方面を見上げていくと、比叡の山が見えてきます。京都は、盆地で山に囲まれている景観を持っていますが、こと叡山の存在感は大きく、この北山界隈や北大路界隈では、とてもよく見ることのできる山です。
 常緑樹が中心であることから四季を通じてこの山は緑が豊かに見ることができます。しかし、この新緑を少し超えた梅雨の時期には、緑が重々しく重厚に見られるようになります。重厚ながらその色は、新しい気概を持った色なのです。

 色彩の変動は、これから夏にかけて徐々に変わっていくのですが、最初の重々しい色彩は、別の意味でさらに重くなってきます。それは暑さによる太陽の輻射熱のようなゆらゆら感が、緑に覆いかぶさっているように見えてくるのです。京都の暑さは、体感的な暑さだけではなく、見た目も暑くなるものがあるのです。色彩の様々なものを見ていくと、京都の景観を見る際に、新しい発見をみていくことが出来そうな気もします。


梅雨の叡山の景観

2011/06/03

護王神社の点景

 京都御所の烏丸通側に護王神社があります。和気清麻呂公命をお祭りした神社です。この神社の境内の雰囲気は、烏丸通を疾走する車のうるささから、一歩中に入ると少し静かになる空間をつくりだしてくれています。雰囲気も落ち着いており、京都の町中に住んで以来、この神社は、私の好きな空間の一つといえます。この神社には、特徴的なものがあります。それは、狛イノシシがあることです。もちろん境内の中もイノシシに関した物が多く、それだけでも特徴的です。
 夜に烏丸通を通って帰るときには、護王神社の横を通りますが、深夜であれば、車も少なくなり、御所の静寂の横で、神社も静かに佇んでいる光景が印象的です。この静かな通りの空間は、歩いていても爽快に思えることが有ります。

 空間を見ていく中で、昼間の空間と、夜の空間の違いについて、とても興味深く思えるのが京都の町の空間です。夜になると、物が浮かび上がり、輪郭が明確になってきます。狛イノシシと鳥居の陰影も明確に浮かび上がり、京都の町の印象的な景観を創り出しているようです。
 京都の街中の風景は、小さいこういった点景からも浮かび上がってくる環境です。見る人にとって印象深い風景になるものと思います。

護王神社狛イノシシ

2011/06/02

四条烏丸の点景

 地下にある阪急四条河原町駅から地上に出ると京都に来た気分がします。これは、子供の頃の擦り込みかもしれません。祖父に連れられて良く来ていた京都の起点が四条河原町。学生になってからも京都へ来るときは阪急に乗って来ることが多く、やはり起点が四条河原町でした。そういった擦り込みで、既に京都に住んでいる今でも、地下道から四条河原町の地上部に出るとなぜか「京都に来た」といった気分になります。

 京都の町を見るとき、ほかの町と違うと思う時があります。それは、幾つもの「通り」が、はっきりと遠くまで見通せることです。地元の神戸では、余りそういった空間を見ることがないような気がします。直線の通りは、私にとって京都らしい景観の一つです。

 地下から地上に出た時に、ちょうど雨が上がり、徐々にこれから夕刻に近づく前の時間、日の光が地面に跳ね返って、きらきらとしている様、とてもきれいに思える瞬間です。そして、それがしばらくすると照り返しが無くなり、いつも見慣れた道路になっていく光景になります。
 これは、町の中の景観そのものの少しの変化を飲みこんで、今までの光景が虚像であったような、何事も無かったかのような時間に引き戻されていくこと。そういった空間の状態が、京都の町を包み込んでいるような錯覚も覚えます。京都では、そういったちょっとの瞬間で空間の変化を楽しむことができる町のようです。

四条河原町交差点

2011/06/01

スズメ

 京都府立大学は、京都府立植物園に隣接し、すぐ横には鴨川や糺の森、少し行くと北山山系があることから、緑も多く、大都市の中でも豊かな環境を保っています。そういった環境も手伝って、この大学構内には、季節ごとに数多くの鳥が飛来し、種類によっては繁殖している個体も多くみられます。その中で、最も多く繁殖をしているのがスズメ(Passer montanus)です。
 大学構内や隣接する鴨川には、この時期、巣立ったばかりのスズメが多くみられます。大学構内で巣をつくり、繁殖している個体も数多くみられ、もちろん北大路界隈の町家で育ったスズメたちも多く見られるのです。人の近くに生息する私たちにとってとても身近な鳥類です。
 大学構内では、図書館の建物の軒先に巣を作っています。軒先のひさしにナイロン系の網をかけているのですが、その間をうまく利用し、巣を作っているのです。ここでの巣の位置状態は、軒先であるため雨が入りづらく、風が吹いても落ちないように建築されていて、なかなか良くできていて感心します。

 スズメは、私たちの身の回りにいる鳥類でありながら、寿命などの詳しい生態調査はあまりされていません。徐々に減少しているとも言われていますが、スズメたちの生態自体、詳細な調査がまだそんなにもされていないことから、これからの研究が進んでいくことになるのでしょう。
 スズメと生活を共にしてきたかつての日本の環境を考えてみると、たくさんの変化が見えてきそうです。町でも中山間地域でも同じですが、かつて隙間の多い日本の建築が、機密性が高い建築へ変わり、戸建てが多かったのが大型の集合住宅へ変化してきています。また、日本人の食生活も大きく変わってきていることも、影響があるのではないかと思えます。

 ただし、鳥の調査をしていく中で、少し思うのは、彼ら彼女たちは、私たちの変化しつつある生活環境に対して、うまく合わせて生活を変えてきているのではないかと思えることがあるのです。スズメだけではなく、それ以外の今まで都市などにはいないと言われてきた鳥たちが、今は普通に見られる種類も出てきつつあるのです。生き物は、ある意味戦略的な生活を送ります。対応できるかできないかでその生活の基盤が問題になるからです。これからの研究では、そういった点も注視して進めていければと思っています。
給餌してもらっているスズメ
子供のスズメ