2013/09/26

加茂街道沿いの緑

 賀茂川右岸に加茂街道が続いています。北大路から上る個所は見事な緑のトンネルです。造園学会の関西支部で話題提供をするために,台風が近づいている今日に再度見に行ってきました。台風が近づいているので雲が千切れつつ,その間の空の色が抜ける様に青くなっています。その空を後背にしながらニレ科の植物の緑が鮮やかに見られます。

 もう少しすると葉が色づいてくるのですが,この時期はまだ緑です。京都市内でも美しい緑の線状空間の一つの道路です。この緑の線状は,人にとっても生き物にとっても重要な要素です。特に,緑の回廊を作っていることが,生態系ネットワーク,景観生態学的な空間要素の一つとして活用されているのではないかと思われるからです。私たちが得られる生態系サービスに役立つ空間かもしれませんね。

綺麗な街道です

2013/09/15

神戸元町の海文堂書店

 いよいよ今月の30日に閉店しまう神戸を代表する書店。あまりこのブログでは書く内容として異色なのかなとも思いますが,どうしても書いておきたいなと思い書きます。

 神戸に生まれ育った神戸っ子にとって子供のころから親しんで,そこにあって当たり前の街の光景になっていた海文堂書店さんが,元町通のその場所からなくなってしまうことは,ほんとうに残念で仕方がありません。

 子供のころには,よく祖父に連れられて行きました。中学から高校の頃も元町に行けば寄っていた書店でした。大学生のころは地方大学だったとは言え,帰省の度に寄っていましたし,院で関西に戻ってからは,元町に下車して頻繁に行っていました。この書店は何かしら不思議な雰囲気を持っていました。近所には大型書店も確かにありますが,私にとって海文堂書店さんの書店の持つ雰囲気が好きだったのです。良い表現ではないかもしれませんが,大型書店特有の機械的な雰囲気が無いのが大好きだったのです。それに何と言っても,海事関係の書籍などが充実していることから,他店には無い独特な雰囲気があり,それを見るだけでも港街神戸へ戻ってきた,帰ってきたと強く思ったものです。特に,神戸を離れて他都市で住んでいたときには良く思ったものです。

 働き出して東京や博多に行ってからも,そういった落ち着ける書店に出会うことはほとんどありませんでした。ですので,帰省し,元町を歩くたびに寄ったものです。関西に戻ってから,神戸での仕事や実家に戻った時には,必ず寄ってしまう書店でした。私にとって元町の灯台のような役割をしてくれている書店だったのです。神戸で本を買う時はいつも海文堂書店で買っていました。

 私の研究分野ではない書籍が多かったのですが,親しんだ書店,神戸らしい書店の灯が今月で消えてしまうのは返す返す残念で仕方がありません。創業99年目で店を閉めるとの神戸新聞の記事で目にしたとき,信じられなかったのです。そこで,どうしても確認したく,お店まで見に行きました。

 いつものようにある海文堂書店の入り口。中に入ると,閉店のお知らせが書かれてありました。新聞の記事を信じたくなかったのですが,もしかすると小さくとも営業はしますとか書いてあるのではないだろうかとついつい思ってしまっていました。あたりまえですがそんなことはありませんでした。

 神戸らしいものがどんどんと無くなっているような気がしています。表面的な神戸らしさを目にすることが何とも多くなり,震災後それが顕著だなと思うことがあります。「神戸らしさ」は,「バタ臭さ」ということをよく祖父から聞いていましたが,それももう過去のものになっている気がします。神戸の街並みがどんどん変わり,ランドスケープの視点から考えても何が神戸らしいのか?が分からなくなってきています。港との繋がっている線が細くなっている気もしています。東京にいる時からそうでしたが,今住んでいる京都からでも,やはり地元の神戸がどうしても気になってしまうのです。

 身近なものの風景,あって当たり前だと思い込んでいた風景が無くなるのは,どう表現してよいのかわかりません。今月中にもう一度,訪れようと思っています。海文堂書店さん,今までお疲れさまでした。そして有難うございました。

神戸の海文堂書店さんです

2013/09/14

北京の街・胡同の奥

 五道胡同へ向かって歩いていた時,小さな胡同の横に奥に長い道を見かけました。そこは長い路地空間が広がっていました。あっと思ってシャッターを切りました。とても奥が長いのです。そしてすがすがしいぐらい道が綺麗に伸びています。北京の路地空間でこんなにきれいなのを見るのは久しぶりでした。京都の東山にも同じような空間があります。北京の石壁と京都の木壁の違いですが,路地の空間のあり方がとても良く似ていると感じました。

 ここを管理している人の丁寧な仕事が見えてくるようです。それほど凛とした空間になっていたのです。まだまだたくさん見るべきものが北京にはあると実感です。時間を作って戻ってこようと思っています。

綺麗な路地です

2013/09/11

北京の街・夜の胡同の通りの風景

 北京の街の中には,まだまだ魅力的な空間が見られます。方形胡同あたりの路地空間の光景です。夜は夜で魅力的な空間が出現します。電信柱にある電燈の灯り,置かれた自転車,中庭から出ている木々の影。街の中の魅力ある要素がそこに見られます。時間をかけてつくられた空間と時間のデザインです。

 今の都市開発で,あっという間に空間が変わってしまいます。都市開発によって急激に変化した後,どれくらい時間をかけると周りの空気と溶け込んだ魅力ある街並みになるのでしょうか。北京の街はオリンピックを境に大きく変貌した箇所が多くあります。反して,まだまだ魅力が残る街並みも存在しています。どう魅力ある街になっていくのか,時間をどう使って空間と溶け込ますのか。北京の街は,これからも楽しみな街の一つです。

夕闇が綺麗です

2013/09/10

北京の街・四合院の中庭の水盤

 北京には四合院(sìhéyuàn)が数多く残っています。今世紀に入って,たくさんの四合院が取り壊されましたが,それでも,まだまだ健在な四合院が見られます。その中の一つの四合院を見せてもらいました。私の興味があるのは,やはり「庭」です。門をくぐって敷地内に入って,やはり四合院の中庭は良い「場」だなと思いました。

 とても落ち着いた空間です。胡同からの喧噪も聞こえず,落ち着く,落ち着ける場所になっています。四合院の素晴らしい一面ですね。配置する木々,緑の配置も素晴らしいと感じました。

 四合院の中庭には,よく水盤が置かれており,その中に金魚がよく見られます。その光景も何とも言えずよい雰囲気を醸し出しているのです。水盤の水面に映る青空や日の光がゆるゆると動く様は,四合院の緩やかな時間と調和していると実感します。

 水盤のようなちょっとした物の存在が,この四合院の中庭の空間に大きな存在感を作り出してくれているようです。

四方に獅子がいます。中々かわいいです。

2013/09/08

北京の街・圓明園,長春園

 学生のころの1996年の時に初めてこの廃墟庭園を訪れました。その時は,周りが閑散とした雰囲気を持っていたのですが,17年ぶりに再び見来て,その環境が大きく様変わりしていることに,まず驚きました。

 2008年に中国当局が「圓明園を復元をする」と発表して以来,どうなるのだろうと思っていましたが,長春園が綺麗になっていることが驚きました。特に植栽のための植物選択が素晴らしいと思いました。

 これだけ広大な空間を今後管理することは大変だろうなと思いますが,これから成長する木々や高度再生水の活用による生物生息も楽しみです。場所によってはメダカが生息してる見受けられましたし,生きた庭園,空間になっているようです。再度訪れたい庭園公園です。

ヨシが定着しています
ハス池の中国らしい光景です

2013/09/07

北京の街・胡同や小道の「しみだし緑」

 大柵欄西街の北側にある通りの楊梅竹斜街の光景です。個人の住宅の横にしみだした緑があります。実はこれ,南瓜を植えているのです。なんともしっかりと実が出来つつありました。おそらく家の食卓に上るための家庭菜園でしょう。少しのスペースも活用している緑のしみだし空間です。良いか悪いかは見る人の感覚になるでしょう。私は,良いとも悪いとも余り考えていませんでしたが,生きている街角の空間だなとずっと思っていましたので,どちらかというと中国のこういった風景が好きなのかもしれません。

 この光景は,北京市内にある胡同(hútòng)によく見ることもできます。ただ,このところの北京は,胡同をリノベーションして店舗になったりしている場所が多く見受けられます。「活用」といった意味では良い試みです。しかしながら,今まで個人が住んでいた空間が店舗に代わっていく様は,本当にいいのか,私にはまだ即答できません。建築物が残ること,活用されることで,その場所の記憶は少なくとも形は残ります。しかし,そのことは表面だけであって,内的な生きた空間,つまり生活している空間とはその建築物が異質ものになっていきます。それが良いのかどうか,まだ分かりかねるのです。決めるのはやはりそこに住んでいる方々であるだろうなと思います。でもやはり,どういった形であれ残ることの方がいいのでしょうね。

 回答のない回答だと,ランドスケープはつくづく難しいものだと思うことしきりです。


緑のしみだし

2013/09/06

北京の街・紫竹院公園

 この公園へは,幾度か横の道を通ったことはあるものの,しっかりと公園の中へ入って見に行くことがありませんでした。今回,北京へ来て早々,最初に訪れた公園です。

 紫竹院は,明時代の万暦5年(1577年)からの由来ある公園です。清時代,頤和園に向かう休息所としての役割もあったそうで,長い歴史があると感じます。園内は竹が多いのが特徴ですが,私が見たときに思ったのは,かつて住んでいた福岡の大濠公園となんとも似ている景観なのだろうかと思ったことです。偶然なのか,大濠の方が真似ているのかわかりかねるのですが,北京で懐かしい風景を目の前にしたことが不思議な感じでした。

 この公園は,市民の方々の憩いの場であり,ジョギングや散策,語らい,湖上遊覧,釣りなど色々な光景が見られます。町中の公園として非常に貴重かつ,重要な役割をしているのだと実感しきりです。北京の初日に良い公園を視察できたともいました。

 この所,中国へは年に何度も来ていますが,中でも北京は年ごとに緑の空間が増えているのを実感しています。公園の緑の活用もその一つでしょうが,とても意欲的な緑化行政が垣間見えます。日本との比較をしながら,講義で話したいとこの現場を見ながら思いました。
 
大濠公園に似ています




 




高層建築が残念ですね…