2011/11/30

初冬のセミの抜け殻

 11月末に姫路市内にある書写山圓教寺の庭園跡の調査に行きました。庭の図面とスケッチをし、休んでいるときにふっと横を見るとアブラゼミの抜け殻が太陽の光を通してキラキラと光っていました。この時期に、夏の残照のような抜け殻を見かけるとは思わなかったので、つい、ぼーっと見ていて、あわてて写真を撮りました。

 野外のフィールド調査をしていると、ちょっとした光景が視野の中に入ってきます。それが、時期によれば、普段からたくさん見られるものでも、ある時期には見られないものが、残影のように残っている場合、思った以上に新鮮に映ることもあるのです。特に、フィールドの、それも人のいない場所での光景ならなおさらかもしれません。

 自然の明るい光とセミの抜け殻を通した光の残照が、言葉に表現し難いのですが、自然の中でのいろいろなベクトルが合わさっての美しさを持っていると思いました。

アブラゼミ

2011/11/28

大学院での授業・京都会館と岡崎見学

 11月も下旬になると紅葉も進み、岡崎界隈の落葉樹も葉が落ちてきています。そんな中、大学院の授業の一環で京都会館の見学をさせてもらいました。会館の内部の見学は、学生にとって興味を持ってくれたと思いますし、良い経験だったと思います(見学させていただきありがとうございました)。

 さて、見学している際に、館内のホワイエにある陶板レリーフがとても気になりました。モダンなデザインで、とても美しいと思ったからです。この建築の空間ととてもよく調和していると感じました。建築物の存在感だけではなく、内部空間のデザインの在り方を問うてくれるレリーフではないでしょうか。

 陶板レリーフは、こういった空間を見ると、効果的な存在感を作り出してくれいるようで、空間デザインの好例の一つではないでしょうか。京都会館のこの空間は、良好なデザインの一つに挙げられると感じます。モダニズムが花開いた心地よいデザインです。

陶板レリーフ

2011/11/26

地形模型の製作作業風景


 デザイン実習の指導で、学部生中心にしながら、ゼミの院生も加わって、賀茂川の地形模型をおよそ1/500のスケールで現在製作しています。彼女たちは、初めての地形模型の制作ですので、四苦八苦しているようですが、それなりに楽しくやっているようです。

 地図の読み方、標高を考えての模型の作り方など、実際に平面から立体に変わっていくことで、頭の中での地形図が鮮明になっていきます。もちろん、パソコンの中でのバーチャルでも理解できることもあるでしょうが、実際に標高線を色鉛筆で引き、それに沿ってカッティングしていくことで、立体感がディスプレイの中では体感できない実物の大切さがあります。

 彼女たちが、いつも通学などで見ている賀茂川が、模型を作っていくことで、その標高差の高低を実感しているようです。現実社会で見ている空間が、思ったよりも標高差があるとも言っていました。私たちの見ている空間や二次元の地図の空間が、より分かりやすくなっていると思います。これは、ランドスケープを学ぶ中で、重要な点です。

 地図を見て、頭の中で三次元の立体空間が浮かび上がれるようにできれば、まずは地図が読めるようになったかなと思います。ランドスケープのトレーニングは、地道な感じを受けるかもしれませんが、そういったことも大切なのです。

模型製作の作業中

2011/11/25

京都北山のフウ

 大学のある北山のキャンパスは、緑が豊かです。こちらの大学に赴任して思ったことは、府立植物園や賀茂川との緑の空間が連続してあり、緑の中で大学が作られていると感じたことです。日本各地のどこの大学でも「緑」は、なにかしら植栽されていますが、この北山のキャンパスは、特にシイやカシの古い樹木もあり、またフウやナンキンハゼの葉の紅葉などの季節感も多くみられ、歴史のある大学空間を樹木と共に作ってくれています。

 樹木は、一朝一夕で成長するものではないので、樹木たちは、大学の財産だともいえるものです。日本各地の大学で大きな木のある大学は、なんとなしか心が落ち着く空間を作ってもいますし、地域のランドマークにもなっているものが多いと思います。それだけ樹木の力、存在感があるといることなのだと思うのです。

 私は、大学や院で造園や庭の講義や指導をしていて、学生さんたちに伝えたいと思うことがあります。それは、造園や景観について、生き物や植物を相手にしているので、その成長や形態をよく考えなくてならないことです。植物を簡単に紙の図面の上に描いていくだけではダメなように、現時点である植物も、どう維持管理するのかを考える必要があるのです。特に、大きな樹木であったら尚更ですし、その存在感が強ければ強いほど、その維持管理を考えないといけません。

 昨日、出勤して目を疑った光景があります。キャンパス内の樹木剪定の仕方が、強剪定されている状況で驚きました。理由があってこのような剪定をしたのだろうか?と考えてもみましたが、よくわかりません。一日おいて今朝もよく見て考えたのですが、なぜこのような形状での剪定をしてしまったのか理解できませんでした。ただ、この剪定は、何かしらの理由があってのことだとは思います。というのも、意味がってこその事象であるからだと考えられるからです。

 学部や大学院の講義で私は、「京都の造園、剪定の仕方は、素晴らしいものがあり、剪定による樹景の見立てもすばらしくて、学ぶことがとても多い。加えて、その剪定の伝統も長くあり…」と言っているのですが、前言は撤回しなくてはいけないのではないかと、この剪定方法を見て一瞬考えてしまいました。今まで学内の剪定状況を見ても切り方が樹木にとってかわいそうなのもありましたが、今回ばかりは、あまりにも厳しい剪定ではないかと見て感じました。

 単に樹木の事で、1、2本ぐらい無くなっても…と考える人もいるかもしれませんが、存在感の大きかった樹木の変わりようは、見ていて痛ましく、少なくとも造園に携わる者にとって、何とも言いようのなく、答えが出てきません。加えて、キャンパスの緑の空間を少なからず変えてしまったことが、何とも悲しく思います。

 こういったことは、街の中でも多くの事例があろうかと思います。「意味が有っての剪定」であると考えますが、少なくともこの大学のキャンパスで、このタイワンフウの樹木の存在が大きかったといえる例といえ、環境デザインを学ぶ学生の皆さんには、事例として学んでほしいと思いました。

昨年までのフウの光景
今年のフウの光景



剪定されたフウ

2011/11/24

半木の森と半木神社

 京都府立大学の横にある京都府立植物園の園内には、「半木の森(なからぎのもり)」があり、上賀茂神社の末社の半木神社のお社もあります。この森は、植物園が出来る以前より存在し、シイやカシの大木が見られる空間です。ここには、初夏になると毎年、アオバズクが営巣し、雛を育てています。大きな木の存在が、鳥たちにとっても良い空間を作り出してくれているようです。

 半木の森の存在は、この下鴨のエリアの歴史を見せてくれています。古い写真にもこの地の写真が残っており、そこには、しっかりと半木の森が映し出されているのです。その当時の古写真では、こんもりとした半木の森と農地の風景だけだったのが、今では、植物園として周りも緑が多く植樹されており、植物園としても欠かすことのできない森の空間になっています。

 大学の横にある植物園と半木の森は、できるだけ授業で活用したい場所の一つです。

森とお社

2011/11/21

大学院での授業・芳春院庭園見学

 昨年から二度目になるのですが、授業での芳春院さんの庭園見学に行きました(見学させて頂きありがとうございました)。こちらの院は、大徳寺塔頭で、前田家の菩提寺として有名な塔頭です。ここでは、京都でも唯一といわれるほどの江戸時代の空間が見られます。それは見てもらえば実感できると思いますが、借景に通じる周辺環境の維持がその空間を作り出してくれています。幕末ころから、もちろんそれ以前からも、刀を差していた侍の時代より景観がほぼ変わっていないことを考えると、表現が難しいですが、個人的にも、とてもわくわくしてしまいます。

 このお庭はとても美しく、枯山水に加えて、サウンドスケープとしての音の風景が見えてくるのです。「見えてくる」といったほうがよい庭です。静かに庭に対峙できれば、それはその庭と語らえるのではないかと思えるような空間に作庭されています。そういった空間で、ゆっくりと庭を眺められることは、京都府立大学の院生たちにとっても京都の大学で学ぶ醍醐味ではないでしょうか。

 日本国内でも、京都ほどに庭のよい空間は、さほどありません。だからこそ、せっかくの京都学生生活中、身の回りにたくさんある京の庭を見てほしいと思っています。この私の講義を受講している学生さんは、建築や森林、環境など多種多様の専門分野を学んでいますが、専門で「庭」や「ランドスケープ」、そしてその空間を学ぶ機会はありません。だからこそ、この講義ぐらいは、見学に連れて行って、実物を見てほしいと思った次第で、連れて行っているのです。

 今回、私が思っていた周辺景観と空間の大切さが、こちらのお庭を介して、わかってもらえたらと思っています。

芳春院の参道

2011/11/20

東京の公園の事例

 東急世田谷線の上町駅を降りて、東京農業大学まで歩いた時に、道路に接している一つに公園に目が留まりました。特段、珍しい公園というわけではないのですが、シンプルすぎて、公園というよりも昔あったような空地の様相で、つい目が留まったのです。ぽっかりとした空間だけの、遊具等もなく簡素な街区公園です。ただその上には、空が広がり、気持ちがよい空間にもなっています。

 朝でしたので、ちょうど犬の散歩などに使われていました。この公園の三方の周囲は、高めのフェンスで囲んでいますので、ボール遊びなどにも使える空間になっており、ボールが戸建住宅に飛んで行かないようにされています。また、遊具も何もないので、子供たちは、自由に走り回れるように考えての公園であるのでしょう。フェンス以外、特段何もないので、四方から目が届き、ある意味、防犯に対しての非常に優れた公園ともいえます。

 若干、理解しづらかったのは、ディズニーの白雪姫と小人が入り口にいたことです。子供たちに親しみやすくするための塑像かも知れませんし、子供たちに親しんでもらえるよう考えて置かれたのかもしれません。ある意味、ユニークな公園ですね。

シンプルな公園

2011/11/19

表参道の同潤館と切り取った空間

 表参道ヒルズの東の一角に、かつての同潤会アパートメントを再現した同潤館があります。かつてを忍ばしてくれる建築です。私が東京に住んでいたころは、まだこの場所に同潤会アパートメントがありました。既に壁面は、ぼろぼろの様相でしたが、住んでみたいと思ったこともありました。大学院の時に学んだ建築の先生から聞いた各同潤会アパートメントの置かれている現状と建築躯体そのものの現況など、いろいろな忠告を受けて、住むことはしませんでしたが、デザインのノスタルジックな風貌にあこがれて、つどつど見学に行っていました。その後、取り壊しとなり、現在の建築になっていますが、東橋の同潤館は、その時を思い出させてくれるよい建築だと思います。

 この同潤館の建築は、ただ単に再建しているのではなく、そこにかつてあった建築と空間を、時間ごと切り取ってくれているような気がします。切り取ったその建築には、現在、ナツヅタは壁面に這い出しており、時間の経過を楽しめるものになりつつあります。それはそれで、訪れるたびに時間を楽しめる空間を作り出してくれているような、そんな雰囲気を醸し出してくれているようです。

蔦と時間

2011/11/17

表参道のケヤキと建築

 東京表参道には美しいケヤキ並木があります。大正時代に植えられたケヤキもあり、この地域のランドマークになっています。日本の都心部における街路樹の美しい通りの一つだと思います。ここは、多くの商業施設もあり、歩いて楽しい空間を演出されていますが、その中でもこのケヤキ並木が地域の雰囲気を高める大きなものになっていると感じます。街路樹は、その街の顔を作ることのできるものだとこの表参道のケヤキを見ると実感させてくれます。

 道路の横にある商業・住居施設の中でも表参道ヒルズの景観は、樹木の高さを超えないように作られています。こういった取り組みは、街路樹の在り方を考えるうえで、とても重要な点です。街路樹の高さを超えない建築構造物のあり方は、ある意味、人間のスケールに近いのかもしれませんし、心地よく視野の中に入ってくると思えます。この建築のデザインについては、様々な人の意見はあるでしょうが、私は、すっきりとしたこの表参道ヒルズのデザインが、地域に溶け込んでおり、好きなデザインの一つになっています。

 デザインは、単体ではなく、その周りも考える必要があります。特に、公共的な空間ではなおさらです。この表参道は、視野に入ってくる緑の容量であったり、その樹木の高低差であったり、樹木と建築、緑と素材など、とてもよい空間を相乗効果で作り出している「場」といえるのではないでしょうか。

建築とケヤキ
建築とケヤキの高さ

2011/11/16

東京ミッドタウンのガレリアと緑

 東京六本木にあるミッドタウンは、オープン当初から適時行くところです。時間を経ていくごとにオープンスペースの緑が成長して美しい公園になっています。公園を見てまわって疲れると、少し休むのですが、今回休んだテラスでは、テラスの緑の使い方が東京や大都市でみられるような感じだと思いました。

 最近、各地方の都市でも、こういった感じの緑使用は、よく見かけるようになりましたが、なんとなくこういった風景を見ると東京らしいなとつくづく思います。東京に住んでいることからそれは、いつも思っていました。この緑も少し小さいですが、大きくなれば、ガレリアの鋼材ときれいな有機無機の対比デザインになっていくのではないかと思います。

 緑は、都市の中で様々な使われ方があります。しっかりと根付くように使われる例(街路樹や公園、固定式の屋上緑化や壁面緑化など)、簡易的に使われる例(花壇やテラス、着脱式の屋上緑化や壁面緑化など)など、緑に対して日々、関係ない人たちにとっても、緑はとても重要な要素だと認識できるのではないでしょうか。

 東京では実験的な緑がいくつも見られますし、先駆的な例も多々あります。これからも見て回りつつ、紹介できればと思います。

緑と鋼材

2011/11/09

セグロセキレイ

 大学に隣接する鴨川には、四季を通じて多種多様な生き物が生息しています。都市の中を貫く河川なのですが、その空間に多くの生き物が生息しているのです。中でも鳥類は、目で確認することが容易で、なおかつ動きなども個性的、環境の指標にもなりうる種もあります。そういった事を理解していくと、京都の都市生態系がいかに鴨川で潤っているのかが見えてきそうです。

 写真の鳥類は、セグロセキレイ(Motacilla grandis)で、今ではどこの都市にでも生息している鳥類です。特に鴨川では、よく観察できる種で、声も高く、容易に認識が出来ます。観察していると採餌している場面に出くわすこともあり、羽虫などの小さな昆虫類を食べている風景をよく見かけます。そういった場面をまじかで見ると、生き物が生物多様性の鎖でつながっていることを実感できるのではないでしょうか。

 都市の生態系を考えることは、都市のランドスケープを学んでいく上で大切な項目です。学生の皆さんにはぜひ生き物の観察を通してランドスケープを学んでほしいと思います。

鴨川のセグロセキレイ

2011/11/07

鴨川の川面の光と夜の景観

 北山大橋に向かう半木の道からの撮影です。夕刻に太陽が沈んでしまうと、晩秋のこの時期は、急に暗くなっていきます。エノキなどの樹木が岸辺を暗くしていますが空はまだ若干、明るさを保ちつつ、来たる夜に向けての時間を過ごしているようです。

 暗くなると、車の赤いテールランプなどが、北山大橋を通る際に、川面に映してくれています。川の水の流れと、その光の映り込みの変化が、見ることを書きさせない美しい造形を作り出してくれています。日々の生活の一コマの映像ではあるのですが、きれいな景観を見せてくれているような気がする京都の日常です。

鴨川の夜の間際

2011/11/06

神戸旧外国人居留地の犬と場

 神戸の旧居留地にある大丸東入口に犬が2頭、寝そべっていました。閉店間際の大丸の出入り口あたりになぜかおとなしく寝ていました。どこかに飼い主さんはいるのだろうと思いますが、通る人は一様に驚いています。私もこの光景に驚きました。もしかすると飼い主の方がデパートへ買い物に入ってしまい、この子たちはそれを待っているのかもしれません。繋がれていない犬がいることに、犬が好きでない人にとっては、驚愕されたものと思います。私は犬が好きなので、あまり気にはならなかったのですが…。

 街の中で、犬のいる周りのそこだけ空気の流れが少し違うような気がしました。慌てて足早に動き出している人たちも、彼らを見かけると、すこしだけ歩みが緩やかになり、その場の空気の流れが緩やかに、そして優しい流れになったような、そんな感じがしました。空気の流れだけではなく、その場の色も少し変化しているように感じました。空間の色を表現するのは難しいのですが、濃い色というより、すこし淡いような感じの色が、デパートの淡い光源と相まって広がっているような気がしたのです。

 少しのアクセントの存在が、その場を大きく変えるかもしれない、すこし面白い光景だたっと思います。


写真を撮られています

2011/11/05

神戸旧外国人居留地・38番館と風景

 神戸の旧外国人居留地跡に、旧居留地38番館があります。1929年、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。建築当時は、シティバンク神戸支店として使用され、今では、大丸神戸店の店舗として活用されています。神戸らしい建築の一つで、子供の頃より、見ていた建築物なので、いつ見ても変わらないことへの安心感があります。

 変わらないものもある反面、震災と時代の流れの速さを感じながら、私は、神戸の街が大きく変わってしまったのではないかと、いつも神戸へ戻るたびに思ってしまいます。10年前、神戸を出て東京に行ってから、そんなふうに思うようになりました。子供の時から高校、大学の頃と時代が大きく変化してきていることは、頭の中では理解できているはずで、社会も周りもその変化が著しいのは、実体験として体感できているはずです。しかし、そのなかでも「風景の変化」へは、何かしらの違和感をいつも覚えるのです。

 前からあるものが「そこに存在している」こと、そのことに対して、私は安定感を感じているのかもしれません。風景は、時間が作り出しているものが多くあります。もしくは、時間が風景を作り出しているのかもしれません。私たちがその時間と空間のすこしの狭間に、すこしだけいるだけ、居させてもらえているのかもしれません。ランドスケープは、風景を作り出す仕事の一つです。風景を作る、時間をかけることを、ゆっくり考えること、それだけではなくとも、いくつか考えていかなくてはならないことがあります。

 時間は止まることなく動いています。その周りも必然的に動いていきます。そんな空間の狭間にいるだけかもしれないのに、1929年から残っている旧居留地38番館のような建築や、その建築と空間に付随するいくつかの要素は、時間を経てもなお、作られた建築当時と同じものがあるのです。例えば、石の一つ一つに建築当時の素材が残っています。石を組んだ人はもういないでしょうが、そこで誰かがが間違いなく積み上げて建設したのです。建設に関わった人は恐らくもういないのに、そこには目に見えて実体物が残っている、そして、残らないものも何かしらあるはずです。風景が残るということは、何かの必然があって残るのかもしれません。とても難しいですね。

石のファサード

2011/11/04

学部での見学・万博公園

 府大の学部生の講義の一環で、吹田市の万博公園へ演習を行いました。万博公園は自然再生の森を進めており、今年で約40年経ちます。このフィールドは、ランドスケープの講義や演習には十分すぎるほどの素材を持っています。学生の頃からこの万博公園の鳥類調査をしてきましたが、目に見えるように鳥類の生態も変化してきています。また、万博の森も豊かになり、多様性が豊かになっているのを実感します。大都市の大阪近辺でこれだけ豊かな生態系が一から構築されてきたことは、万国博覧会閉会後の計画がしっかりとされていったからと思います。

 ランドスケープを考えるときには、長いスパンで考えていきます。一年や二年で作り考えられるような空間は、自然相手ではうまくいきません。それを提示してくれているようなフィールドです。

ソラードを通って樹木観察です

2011/11/02

晩秋の鴨川での水生生物調査

 秋も深まり、紅葉もちらほら見られるようになりました。その秋が見られるようになった京都で、その街中を流れる鴨川にて水生生物の調査を院ゼミ生としてきました。

 先週までの低温の気温だったのですが、今日は、間もなく立冬になるのに夏日に近いような暑い気温です。この時期でも鴨川では、多くの生き物がまだ見られます。この日は、イシガメの成体が確認できました。また、中州にはカイツブリが数個体、隠れており、出会いがしらに、間近で観察することが出来ました。

 晩秋とはいえ、生き物の豊かな空間を確認することができ、都市河川の鴨川の豊かさが再確認できた秋の一日でした。

出雲路橋近辺の調査

2011/11/01

大学院での授業・圓通寺借景庭園見学

 私が造園の学校から、こちらの大学院へ移って、毎年行っている授業見学があります。見学場所は、大学からほど近い圓通寺さんの借景庭園です。見学の基となる大学院の授業は、「地域景観保全学特論」といった小難しい名前ですが、私たちの身の回りなどの地域の景観や風景、生き物の生息環境など、今の現状がどうであり、それがどのように変わってきているのか、それらをどのように保全や維持したらいいのか、といった感じの講義です。つまり、ランドスケープの視点が必要な授業なのです。

 圓通寺は、全国的にも知られた借景庭園を有するお寺です。比叡のお山を借景として取り込み、そのダイナミックな景観は、平庭枯山水の空間と相まって、非常に美しい庭園を醸し出してくれています。この庭園は、周辺の環境を取り込むことによって借景を構成し、「景」をなす庭です。ですから、このお庭の「景」の維持には、周辺の環境のあらゆる変化より、多くの障害が出てきて、かつてあったはずの「景」そのものが変化せざるをえません。そのため現代における「景の維持」には、非常な苦労がつきまといます。つまり、この地域の景観をどう保全するのかが大切になってくるのです。

 圓通寺周辺では、周辺地域の環境が変化することに対して、それを見せないようにご住職が努力されています。例えば、今まで無かった建造物、構造物などが周辺の環境を大きく変化させてしまっています。その大きく変化したものに対して、今まで見ることのできた庭園の借景部分を著しく変えないよう、植栽や樹木等の剪定をされてきています。不要なものを隠すようにしているのです。とはいえ、以前畑だった環境は、さらなる宅地化の波、経済重視によって景観を無視して大きく変化してしまいました。私が小さい時に見た景観は見る影が無くなり、言いようのない不安を覚えます。変化してきた周辺環境も、ご住職の話によれば、すこしは落ち着いてきているとの事。今回は、ご住職のお話が直接聞けて、学生たちもより良い景観を見る視点やその借景の内容について深く学ぶことが出来たとも思います(どうも有り難うございました)。

 日本における景観や風景に対しての取り組みは、残念ながら、日本各地、まだまだ遅れていると思わざるを得ません。京都のような景観や風景を重視しなくてはいけない歴史的な空間であっても、残念な結果が多いものです。今回、見学した学生さん達が、この「景」を見て、どう映ったのか…。広い視野でのランドスケープを学ぶきっかけとなればと思います。


圓通寺の借景