2011/12/31

上海の街・浦東光景

 この風景は、上海で有名な光景といえるのではないでしょうか。私が農学部在籍の学生時、20年ほど前に一度、上海へ来たことがあります。初めて中国に行った際、帰国の時に上海を経由して以来です。その時にはまだこのような光景はまったくありませんでした。それ以後、何度も中国に行っているのに、上海へは一度も行く機会がありませんでした。

 20年たった今、この光景を目の前にして、写真や映像では見ていたはずなのですが、その大きさ、規模、空間性に驚きを感じました。まるでサイエンスフィクションの世界だと思ったからです。久しぶりに大きな衝撃を受けました。特に、夜の明かりには煌びやかで、その夜空を大きく照らしていることに、中国の発展性の速度感を十分に見ることが出来たような気がします。

 この輝きは、私たちにとって明るくなっていく未来なのか、それともその反対側に向かうものなのか・・・それを考えさせてくれる大きな風景です。今回、この光景をじっくり見られたことは、私にとってとても良い経験の一つになりました。

明るくなる未来を期待したいです

2011/12/30

上海の街・復興公園

 上海の新天地近くにフランス式庭園の公園があります。上海でも古い公園のひとつです。
 ちょうどこの公園を訪れた時に、手入れ作業をしていました。冬の寒空の下で、もくもくと作業している光景は、日本と同じ光景だと思いました。プラタナスの樹木も剪定され、これから春に向けてゆっくり時間をかけて芽吹いていくそんな冬の光景です。


復興公園


2011/12/29

上海の街・町のスズメ

 少し雨が降った後、上海の新天地へ言った際の光景です。カフェの並んでいる椅子にスズメが並んでとまっていました。なかなか、可愛らしい光景です。丁寧に椅子の背もたれにとまっています。この子達にとっては、普段の生活の延長線なのでしょう。雨が降ったため、椅子が濡れており、誰も座らない事から、スズメたちがとまっているようです。

カフェのスズメたち

2011/12/28

蘇州の街・曲線の街路樹空間

 蘇州の街の中心部より若干北にある北塔報恩寺の北塔に上がって、北側を眺めた風景です。街路樹の曲線が美しい通りだと感心しました。街路樹は普段、歩いているときに目線の高さで見る樹木ですが、上から見るとまた違った美しさが見えてきます。

 特にこの通りの曲線は、優しい感じを受け、街路にとって良い空間を作り出しているようにも感じます。直線の美しさもあるでしょうが、緩やかな曲線の通りも、また街の景観要素としては良いものだと、この光景を見て思いました。

曲線の通りと古い街並みがきれいです

2011/12/27

蘇州の街・屋台の風景

 訪れていた蘇州は、気温がとても低く、京都の1月ぐらいの体感気温を感じました。日没前に街中を歩いていたからかもしれませんが、とても寒いのです。そんな中、屋台の光景が目に留まりました。といっても、中国ではごくふつうにみられる光景ですし、とりたてて珍しい光景ではありません。面白いなと思ったのは、いろいろな食材を使った串が並んであり、それをフライにして食べる屋台を見かけたからです。一串、1元から2元ほどで簡単なファーストフードが食べられます。

 若い人も、ご老人も関係なく皆さん楽しんで食べていました。こういった風景を見ると、人の楽しさはその屋台が作り出しているのではなく、その周りの空間も大きな要素になりうるのだと実感します。大気の温度や日没までの時間、歩いている人、街路樹や道路の広さ。何が最も大きな影響を与えているのか分かりませんが、いろいろな要素が空間を形作り、風景を作り上げているのだと思いました。

屋台で素材を揚げています

2011/12/26

高崎のお菓子 ラスク

 高崎の友人よりお菓子を送ってくれました(いつもありがとう!)。私としては、いろいろな意味で、思い出深く、おいしいと思っているお菓子です。最初にチョコ掛けのラスクを食べたとき、おいしい思い、何度か買おうかと思っていたのですが、関西や博多ではお店に多くの人が並んでいたので、買うことを断念していました。というのも私は並ぶのが苦手であるからです。並ぼうかと思うこともあるのですが、やはり恥ずかしくて列に並べませんでした。

 実は、このお菓子、妹が3年前に神戸にて入院していた時、おやつで食べているときに「美味しいおいしい」と言ってよく食べてくれていました。実際、その時、私ももらって初めて食べてみて、「おいしいねえ」と妹と話をした記憶が今でも鮮明に残っています。このお菓子は、単なるラスクかもしれませんが、私にとってはとても思い出の深いお菓子の一つです。

 食べ物の記憶は、脳裏に残るものだと思います。味覚のなせる業かもしれません。人の感覚には、「五感」があります。その五感の中でも「味覚」という感覚は、いろいろな情景と重なって思い出に残るものかもしれません。その時食べた味と、病室の窓から見えた神戸の港の明るい風景は、私の頭の中からいつもオーバーラップしてきます。そして、その時の気温も思い出させてくれるのです。人の記憶は、あいまいなものも多くあるのですが、その反対もあるのだと、つくづく思いました。

大熊猫とのコラボ

2011/12/25

蘇州の園林・留園

 留園は、明代に築庭された園林で、蘇州の中でも拙政園についで大きな庭です。建築と山紫水明の豊かな空間を作り上げています。訪れて思ったのは、とても静かに過ごせられる空間だということです。この庭は、蘇州の中心部より若干離れた位置に存在していることが、静かな庭園の理由であるのか知れません。しかし、なによりも空間が広くとらえられており、庭を散策する園路もうまく作庭されていることが静かな空間を作り出している最も大きな理由だと思いました。歩きながら風景が変わっていく様は、一つの空間の中で様々な風景や景色を作り出してくれています。

 中国の園林は、訪れて散策し、庭を見る人へ変化を提供してくれています。それは、石や水、建築など、さまざまに見せる事象の空間を、それを見る人へ提供させてくれている様な作庭をしているものと感じさせてくれています。特に、この庭は、太湖石を多く使用し、その石の形状の変化から、空間を広く、または山の中の山水の中に導き出していくような感じを受けさせてくれます。この留庭は、中国でも美しく完成度の高い庭といえるのではないでしょうか。

中庭さえも石の配置が美しいです

2011/12/24

蘇州の園林・獅子林


 元の時代に築庭された園林です。「築山王国」といわれるほど太湖石を積み重ねて、まるで乱立するビルの中にいるような錯覚を覚えますが、石それぞれに表情があり、無機質であるはずの「石」全てに、有機的な表情を浮かび上がっているのです。その光景は、何とも言い難く、写真での表現が難しい作庭です。

 庭自体は、石をこれでもかと思うぐらいに多くを使用し作庭されています。池泉を中心にその周囲に石を組み込んでいる様は、江南の庭を訪れている雰囲気を存分に醸し出してくれています。この獅子林は、間違いなく中国の古典園林の代表的な一つといえ、それだけに存在感の高い庭です。

借景的な空間を作り出しています

2011/12/23

蘇州の園林・拙政園

 中国の蘇州(Suzhou)には、世界遺産でもある庭園(園林)が数多くあります。その中でも拙政園は、中国の中でも有名な庭園の一つです。明の時代の庭園であり、自然を取り込んで構成される優雅で美しい庭園です。園内には、池を配し、その周囲を太湖石などを使って構成されています。また随所に盆栽を配している様は、中国庭園の美しさを醸し出しています。

 この蘇州の庭園群を見たくて、この蘇州に来たのですが、来訪した甲斐があったと思いました。特に、この庭園を見て学生たちへの講義の中で、中国古典園林の話を是非したいとつくづく感じると同時に、中国の庭園を私自身、もっと勉強しなくてはといった気持も湧き上がりました。奥が深い庭園です。

屋根の曲線も美しいです

2011/12/16

屋根の上のアオサギ


 賀茂川沿いにある家の屋根の上にアオサギがとまっていました。何とも優雅に一本足で、夕日に顔を向けて休んでします。この光景を見てなんとも面白いと思いついカメラを向けて撮影しました。後背の空の青さと屋根の傾斜、その中にアオサギ。何とも面白い構図だと思いました。

 街の中で少しだけ注意して見え歩くと、色々な生き物の表情が見えてきます。

西空を眺める

2011/12/15

地下鉄での作品展示

 京都市営地下鉄で「ダイガク×チカテツ 駅ナカアートプロジェクト」が1214日より開催され、その作品を府立大学は、北大路駅構内に展示しています。学生とともに進めてきた作品の「賀茂川のランドスープ」は、5つの四季をテーマにし、賀茂川の地形模型と生き物の模型を配した作品です。その設置作業は13日の夕刻より行ったのですが、その際に近くの小学生たちが下校時に見てくれました。実は、この作品、私の思いとしては子供たちに興味を持って見てほしいと思っていたのです。もちろん、大人の方にも見てほしいのですが、子供たちが見てくれることで、京都の町中にいる生き物たちや四季の変化を感じてもらえたらと思っていたのです。そういった思いの中で見てくれたのはうれしい限りでした。

 「また見に来ます!」と、元気よく答えてくれた小学生の声に、設置をしていく作業も元気づけられた気がしました。

作品を覗き込んでくれています

2011/12/14

夕方の道路の光景

 夕方、大学の南門を出て西側にある賀茂川へ向かっていくときの一コマです。少しの時間ですが、夕焼けが遠くから日の光だけをまぶしいぐらいに照らしてくれていて、明るく輝いています。ハクモクレンの木の影も長く長くなり、空の青い色が白く輝いている光景はとてもきれいな風景です。

 電信柱が逆光で黒い支柱として電線を支え、そのアンバランスな光景もまた楽しめそうな夕方のちょっとした時間です。なにかしら、デザインとしても面白い光景だと思いました。

夕方の電線

2011/12/13

賀茂川のスズメたち

 北大路橋を渡って、植物園側にある半木の道(なからぎにみち)の入り口に付近で最近、スズメたちが多く群れています。枝垂れ桜の樹にぶら下がっている光景や車停めにいる光景を最近見かけるようになりました。冬のこの時期、以前は、近くの町家の緑にあふれた庭の樹木に多くが「福良雀」の状態で群がっていました。そして、延々とスズメ同士がちゅんちゅんと話している光景がとても賑やかなものでした。

 その家がつい最近、売り出されて、その後、庭の樹木たちも切られ、本当の更地になってしまい、初めてその緑にあふれた庭の空間が、周りに色々な影響を与えていたのではないかとスズメたちを見て思いました。緑の空間がなくなって、スズメたちは居場所を変え、今の場所に落ち着いたようです。環境デザインの学科で教えていることを考えていくと、周辺への波及も考えた空間計画も必要だとつくづく思います。

 日中だけですが、騒がしく話しあっているスズメたちの声が、冬の寒い時期の凛とした空気の合間を少しだけ緩やかな空間をつくってくれているような感じを受けていました。

ふくらすずめ

2011/12/11

神戸三ノ宮駅前の光景

 12月になって、神戸の町の光が明るくきらきらとした季節になっています。この時期の神戸の光はとても躍動感にあふれているような気がします。それは、西洋と東洋が入り混じった港町ならではの雰囲気です。特に、今の時期の神戸は、旧外国人居留地でルミナリエが開催されており、鎮魂の光を街中に広げています。

 このルミナリエの開催は、私にとって色々な意味を持っています。震災の年に開催された最初の頃の気持ちより、それ以後の開催については、だんだんと複雑な気持ちを持たせていること、それを考えるきっかけになっていることなど、複雑です。

 そうはいっても、神戸の12月は、光があたたかい街だと思っていますし、訪れている多くの観光客もそう思ってくれるのではないでしょうか。これは、震災の前から、復興がだいぶ進んだ今もそういった空間を作り上げていると思うのです。これは、街の文化や歴史の積み重ねが、街そのものを醸造してくれているような感じではないかと思います。タウンスケープを学ぶ良い街の事例のひとつかもしれません。

三ノ宮の駅前

2011/12/09

北山の晩秋風景


 大学の横の賀茂川に掛かる北大路橋から北山を眺めた風景です。初冬になり、間もなく雪も降る季節に近づいています。賀茂川の水の流れも寒そうに見えます。今朝の光景ですが、若干の小雨の中、北山には靄が少しかかっており、徐々に晴れて行っている時間帯です。

 雨のおかげで空気も綺麗に澄み、今年の遅い錦秋の色合いも鮮やかにしてくれています。北山の連山を遠くから眺めてみるととても綺麗なのですが、山の林床では、ニホンジカによる草本の食草被害がひどい状態で、近づくと山が悲鳴をあげているような感じを受けます。離れると分かりませんが、近づくと見えてくる環境の変化です。

 今年も冬に山に入り、その状況を確認しに行こうと思います。

初冬の北山連山

2011/12/08

鴨川(賀茂川)模型制作と空間把握

 現在、環境デザイン演習の一環での地形模型作りから、空間把握を行い、その生態的な空間がどういった感じで構成されているのかを学ぶために、学部生と院生とで考えながらデザイン制作物を作っています。手で作ることによって、バーチャルではない空間把握ができます。これは、アナログな手法ではあるのですが、地形を読み取って空間を見ていくには良い手法だと私は思います。

 現在、賀茂川の一部の空間を作成していますが、そこにどんな生き物が生息しているのなどを考え、実際に調査に出向いて、どんな生き物たちがこの賀茂川空間にいるのかを探りつつ、それをデザイン化しようと学生さんたちは試みています。

 空間を把握する、フィールドに出る、デザインする。こういったことは、賀茂川という大きなフィールドが近接しているからこそできる、府大生ならではの贅沢な演習かも知れません。

制作中の光景

2011/12/07

堀川通りの慈受院門跡作庭


 京都の堀川寺之内を上がったところに慈受院門跡があり、そこに作庭記の碑と作庭された坪庭があります。この時期は、イロハモミジの紅葉が赤く染まって、とても美しい庭になります。秋の彩りは、冬の前の明るい色彩です。

 この時期、街の中を見渡すと、もう冬前になっていることから、葉がすでに落ちてしまっていて、枝だけの樹も多く見られます。また、葉がまだまだ落ちずに頑張って、鮮やかな色彩を華っている樹もあります。今年の錦秋は遅かったので、これからでも楽しめそうです。

 作庭されている庭の彩りも、これからどんどんと冬の景式に変わっていきます。それもまた楽しみの一つですね。

堀川通りの作庭

2011/12/06

紫明通りの公園と落ち葉

 京都の南北にある烏丸通と堀川通の間に紫明通が東西にあります。紫明通りは大きな通りで、その道路の緩衝帯には公園が作られています。そこには、季節感あふれる樹が多く植栽され、秋になると紫明通りの通りを彩ってくれています。京都の錦秋がもう終わりかけで、急いで今日、紫明通りの公園に撮影へ行ってみました。すでに多くの葉が落ちてしまてちましたが、それはそれで冬らしい光景を作ってくれています。

 現在、京都市は、街路樹の二段階剪定を全市で進めています。私のところの研究室でも、街路樹について約2年前から調査を進めています。季節感の彩ることのできる街路樹や公園の樹は、管理などが大変ではあるのですが、見る者にとって、街路や公園を使うものにとって、良い効果もたくさんあります。そういった点を研究しつつ、今のこの季節の落ち葉の光景を京都で楽しんでいます。

落ち葉がたくさんあります

2011/12/03

京都南座のまねき


 京都の師走をつげる南座のまねきが上がりました。歌舞伎の顔見世興行が始まっています。京都の師走の行事です。この風景を見ると、京都に師走が来た感じを受け、街の中もみなさん忙しく、新年に向けて動き出しているように感じます。今年もあと1か月弱。あっという間の一年だったと思ってしましました。

 京都は四季が多くあります。二十四節季ある日本の風土で、これだけしっかりと季節感のある街も、もう京都ぐらいかもしれません。京都で生活している間は京都の四季を楽しみたいと思います。

2011/12/02

護王神社の辰の大絵馬

 京都の御所西横に護王神社があります。通勤の帰りや、家から近いのでよく訪れる神社です。こちらの神社では、毎年大きな絵馬が奉納されています。今日の通勤帰りに寄ってみると、もうすでに大絵馬が奉納されていました。改めて来年の年が辰年だったことに気づきました。力強い辰の絵馬です。


辰の大きな絵馬

2011/12/01

姫路の遠景

 書写山圓教寺から姫路方面を眺めると播磨灘が見えます。晴れて澄んでいるときには、淡路島と四国が眺められるそうです。この日は、残念ながら姫路市街地が霞んで眺められる程度でした。姫路市街の横に流れる夢前川が、夕焼けに反射し、きれいな蛇行線を描いています。筆でさっと、銀色の墨を使って、一筆書きしたような感じです。

 美しい風景を見ると、時間を忘れるような感じを受けます。この風景は、単に町が見られるだけなのですが、霞んでいる風景が墨絵のようで、とても落ち着いた色彩を奏でているようです。時間を立つのを忘れる風景です。

姫路の遠景

2011/11/30

初冬のセミの抜け殻

 11月末に姫路市内にある書写山圓教寺の庭園跡の調査に行きました。庭の図面とスケッチをし、休んでいるときにふっと横を見るとアブラゼミの抜け殻が太陽の光を通してキラキラと光っていました。この時期に、夏の残照のような抜け殻を見かけるとは思わなかったので、つい、ぼーっと見ていて、あわてて写真を撮りました。

 野外のフィールド調査をしていると、ちょっとした光景が視野の中に入ってきます。それが、時期によれば、普段からたくさん見られるものでも、ある時期には見られないものが、残影のように残っている場合、思った以上に新鮮に映ることもあるのです。特に、フィールドの、それも人のいない場所での光景ならなおさらかもしれません。

 自然の明るい光とセミの抜け殻を通した光の残照が、言葉に表現し難いのですが、自然の中でのいろいろなベクトルが合わさっての美しさを持っていると思いました。

アブラゼミ

2011/11/28

大学院での授業・京都会館と岡崎見学

 11月も下旬になると紅葉も進み、岡崎界隈の落葉樹も葉が落ちてきています。そんな中、大学院の授業の一環で京都会館の見学をさせてもらいました。会館の内部の見学は、学生にとって興味を持ってくれたと思いますし、良い経験だったと思います(見学させていただきありがとうございました)。

 さて、見学している際に、館内のホワイエにある陶板レリーフがとても気になりました。モダンなデザインで、とても美しいと思ったからです。この建築の空間ととてもよく調和していると感じました。建築物の存在感だけではなく、内部空間のデザインの在り方を問うてくれるレリーフではないでしょうか。

 陶板レリーフは、こういった空間を見ると、効果的な存在感を作り出してくれいるようで、空間デザインの好例の一つではないでしょうか。京都会館のこの空間は、良好なデザインの一つに挙げられると感じます。モダニズムが花開いた心地よいデザインです。

陶板レリーフ

2011/11/26

地形模型の製作作業風景


 デザイン実習の指導で、学部生中心にしながら、ゼミの院生も加わって、賀茂川の地形模型をおよそ1/500のスケールで現在製作しています。彼女たちは、初めての地形模型の制作ですので、四苦八苦しているようですが、それなりに楽しくやっているようです。

 地図の読み方、標高を考えての模型の作り方など、実際に平面から立体に変わっていくことで、頭の中での地形図が鮮明になっていきます。もちろん、パソコンの中でのバーチャルでも理解できることもあるでしょうが、実際に標高線を色鉛筆で引き、それに沿ってカッティングしていくことで、立体感がディスプレイの中では体感できない実物の大切さがあります。

 彼女たちが、いつも通学などで見ている賀茂川が、模型を作っていくことで、その標高差の高低を実感しているようです。現実社会で見ている空間が、思ったよりも標高差があるとも言っていました。私たちの見ている空間や二次元の地図の空間が、より分かりやすくなっていると思います。これは、ランドスケープを学ぶ中で、重要な点です。

 地図を見て、頭の中で三次元の立体空間が浮かび上がれるようにできれば、まずは地図が読めるようになったかなと思います。ランドスケープのトレーニングは、地道な感じを受けるかもしれませんが、そういったことも大切なのです。

模型製作の作業中

2011/11/25

京都北山のフウ

 大学のある北山のキャンパスは、緑が豊かです。こちらの大学に赴任して思ったことは、府立植物園や賀茂川との緑の空間が連続してあり、緑の中で大学が作られていると感じたことです。日本各地のどこの大学でも「緑」は、なにかしら植栽されていますが、この北山のキャンパスは、特にシイやカシの古い樹木もあり、またフウやナンキンハゼの葉の紅葉などの季節感も多くみられ、歴史のある大学空間を樹木と共に作ってくれています。

 樹木は、一朝一夕で成長するものではないので、樹木たちは、大学の財産だともいえるものです。日本各地の大学で大きな木のある大学は、なんとなしか心が落ち着く空間を作ってもいますし、地域のランドマークにもなっているものが多いと思います。それだけ樹木の力、存在感があるといることなのだと思うのです。

 私は、大学や院で造園や庭の講義や指導をしていて、学生さんたちに伝えたいと思うことがあります。それは、造園や景観について、生き物や植物を相手にしているので、その成長や形態をよく考えなくてならないことです。植物を簡単に紙の図面の上に描いていくだけではダメなように、現時点である植物も、どう維持管理するのかを考える必要があるのです。特に、大きな樹木であったら尚更ですし、その存在感が強ければ強いほど、その維持管理を考えないといけません。

 昨日、出勤して目を疑った光景があります。キャンパス内の樹木剪定の仕方が、強剪定されている状況で驚きました。理由があってこのような剪定をしたのだろうか?と考えてもみましたが、よくわかりません。一日おいて今朝もよく見て考えたのですが、なぜこのような形状での剪定をしてしまったのか理解できませんでした。ただ、この剪定は、何かしらの理由があってのことだとは思います。というのも、意味がってこその事象であるからだと考えられるからです。

 学部や大学院の講義で私は、「京都の造園、剪定の仕方は、素晴らしいものがあり、剪定による樹景の見立てもすばらしくて、学ぶことがとても多い。加えて、その剪定の伝統も長くあり…」と言っているのですが、前言は撤回しなくてはいけないのではないかと、この剪定方法を見て一瞬考えてしまいました。今まで学内の剪定状況を見ても切り方が樹木にとってかわいそうなのもありましたが、今回ばかりは、あまりにも厳しい剪定ではないかと見て感じました。

 単に樹木の事で、1、2本ぐらい無くなっても…と考える人もいるかもしれませんが、存在感の大きかった樹木の変わりようは、見ていて痛ましく、少なくとも造園に携わる者にとって、何とも言いようのなく、答えが出てきません。加えて、キャンパスの緑の空間を少なからず変えてしまったことが、何とも悲しく思います。

 こういったことは、街の中でも多くの事例があろうかと思います。「意味が有っての剪定」であると考えますが、少なくともこの大学のキャンパスで、このタイワンフウの樹木の存在が大きかったといえる例といえ、環境デザインを学ぶ学生の皆さんには、事例として学んでほしいと思いました。

昨年までのフウの光景
今年のフウの光景



剪定されたフウ

2011/11/24

半木の森と半木神社

 京都府立大学の横にある京都府立植物園の園内には、「半木の森(なからぎのもり)」があり、上賀茂神社の末社の半木神社のお社もあります。この森は、植物園が出来る以前より存在し、シイやカシの大木が見られる空間です。ここには、初夏になると毎年、アオバズクが営巣し、雛を育てています。大きな木の存在が、鳥たちにとっても良い空間を作り出してくれているようです。

 半木の森の存在は、この下鴨のエリアの歴史を見せてくれています。古い写真にもこの地の写真が残っており、そこには、しっかりと半木の森が映し出されているのです。その当時の古写真では、こんもりとした半木の森と農地の風景だけだったのが、今では、植物園として周りも緑が多く植樹されており、植物園としても欠かすことのできない森の空間になっています。

 大学の横にある植物園と半木の森は、できるだけ授業で活用したい場所の一つです。

森とお社

2011/11/21

大学院での授業・芳春院庭園見学

 昨年から二度目になるのですが、授業での芳春院さんの庭園見学に行きました(見学させて頂きありがとうございました)。こちらの院は、大徳寺塔頭で、前田家の菩提寺として有名な塔頭です。ここでは、京都でも唯一といわれるほどの江戸時代の空間が見られます。それは見てもらえば実感できると思いますが、借景に通じる周辺環境の維持がその空間を作り出してくれています。幕末ころから、もちろんそれ以前からも、刀を差していた侍の時代より景観がほぼ変わっていないことを考えると、表現が難しいですが、個人的にも、とてもわくわくしてしまいます。

 このお庭はとても美しく、枯山水に加えて、サウンドスケープとしての音の風景が見えてくるのです。「見えてくる」といったほうがよい庭です。静かに庭に対峙できれば、それはその庭と語らえるのではないかと思えるような空間に作庭されています。そういった空間で、ゆっくりと庭を眺められることは、京都府立大学の院生たちにとっても京都の大学で学ぶ醍醐味ではないでしょうか。

 日本国内でも、京都ほどに庭のよい空間は、さほどありません。だからこそ、せっかくの京都学生生活中、身の回りにたくさんある京の庭を見てほしいと思っています。この私の講義を受講している学生さんは、建築や森林、環境など多種多様の専門分野を学んでいますが、専門で「庭」や「ランドスケープ」、そしてその空間を学ぶ機会はありません。だからこそ、この講義ぐらいは、見学に連れて行って、実物を見てほしいと思った次第で、連れて行っているのです。

 今回、私が思っていた周辺景観と空間の大切さが、こちらのお庭を介して、わかってもらえたらと思っています。

芳春院の参道

2011/11/20

東京の公園の事例

 東急世田谷線の上町駅を降りて、東京農業大学まで歩いた時に、道路に接している一つに公園に目が留まりました。特段、珍しい公園というわけではないのですが、シンプルすぎて、公園というよりも昔あったような空地の様相で、つい目が留まったのです。ぽっかりとした空間だけの、遊具等もなく簡素な街区公園です。ただその上には、空が広がり、気持ちがよい空間にもなっています。

 朝でしたので、ちょうど犬の散歩などに使われていました。この公園の三方の周囲は、高めのフェンスで囲んでいますので、ボール遊びなどにも使える空間になっており、ボールが戸建住宅に飛んで行かないようにされています。また、遊具も何もないので、子供たちは、自由に走り回れるように考えての公園であるのでしょう。フェンス以外、特段何もないので、四方から目が届き、ある意味、防犯に対しての非常に優れた公園ともいえます。

 若干、理解しづらかったのは、ディズニーの白雪姫と小人が入り口にいたことです。子供たちに親しみやすくするための塑像かも知れませんし、子供たちに親しんでもらえるよう考えて置かれたのかもしれません。ある意味、ユニークな公園ですね。

シンプルな公園

2011/11/19

表参道の同潤館と切り取った空間

 表参道ヒルズの東の一角に、かつての同潤会アパートメントを再現した同潤館があります。かつてを忍ばしてくれる建築です。私が東京に住んでいたころは、まだこの場所に同潤会アパートメントがありました。既に壁面は、ぼろぼろの様相でしたが、住んでみたいと思ったこともありました。大学院の時に学んだ建築の先生から聞いた各同潤会アパートメントの置かれている現状と建築躯体そのものの現況など、いろいろな忠告を受けて、住むことはしませんでしたが、デザインのノスタルジックな風貌にあこがれて、つどつど見学に行っていました。その後、取り壊しとなり、現在の建築になっていますが、東橋の同潤館は、その時を思い出させてくれるよい建築だと思います。

 この同潤館の建築は、ただ単に再建しているのではなく、そこにかつてあった建築と空間を、時間ごと切り取ってくれているような気がします。切り取ったその建築には、現在、ナツヅタは壁面に這い出しており、時間の経過を楽しめるものになりつつあります。それはそれで、訪れるたびに時間を楽しめる空間を作り出してくれているような、そんな雰囲気を醸し出してくれているようです。

蔦と時間

2011/11/17

表参道のケヤキと建築

 東京表参道には美しいケヤキ並木があります。大正時代に植えられたケヤキもあり、この地域のランドマークになっています。日本の都心部における街路樹の美しい通りの一つだと思います。ここは、多くの商業施設もあり、歩いて楽しい空間を演出されていますが、その中でもこのケヤキ並木が地域の雰囲気を高める大きなものになっていると感じます。街路樹は、その街の顔を作ることのできるものだとこの表参道のケヤキを見ると実感させてくれます。

 道路の横にある商業・住居施設の中でも表参道ヒルズの景観は、樹木の高さを超えないように作られています。こういった取り組みは、街路樹の在り方を考えるうえで、とても重要な点です。街路樹の高さを超えない建築構造物のあり方は、ある意味、人間のスケールに近いのかもしれませんし、心地よく視野の中に入ってくると思えます。この建築のデザインについては、様々な人の意見はあるでしょうが、私は、すっきりとしたこの表参道ヒルズのデザインが、地域に溶け込んでおり、好きなデザインの一つになっています。

 デザインは、単体ではなく、その周りも考える必要があります。特に、公共的な空間ではなおさらです。この表参道は、視野に入ってくる緑の容量であったり、その樹木の高低差であったり、樹木と建築、緑と素材など、とてもよい空間を相乗効果で作り出している「場」といえるのではないでしょうか。

建築とケヤキ
建築とケヤキの高さ

2011/11/16

東京ミッドタウンのガレリアと緑

 東京六本木にあるミッドタウンは、オープン当初から適時行くところです。時間を経ていくごとにオープンスペースの緑が成長して美しい公園になっています。公園を見てまわって疲れると、少し休むのですが、今回休んだテラスでは、テラスの緑の使い方が東京や大都市でみられるような感じだと思いました。

 最近、各地方の都市でも、こういった感じの緑使用は、よく見かけるようになりましたが、なんとなくこういった風景を見ると東京らしいなとつくづく思います。東京に住んでいることからそれは、いつも思っていました。この緑も少し小さいですが、大きくなれば、ガレリアの鋼材ときれいな有機無機の対比デザインになっていくのではないかと思います。

 緑は、都市の中で様々な使われ方があります。しっかりと根付くように使われる例(街路樹や公園、固定式の屋上緑化や壁面緑化など)、簡易的に使われる例(花壇やテラス、着脱式の屋上緑化や壁面緑化など)など、緑に対して日々、関係ない人たちにとっても、緑はとても重要な要素だと認識できるのではないでしょうか。

 東京では実験的な緑がいくつも見られますし、先駆的な例も多々あります。これからも見て回りつつ、紹介できればと思います。

緑と鋼材

2011/11/09

セグロセキレイ

 大学に隣接する鴨川には、四季を通じて多種多様な生き物が生息しています。都市の中を貫く河川なのですが、その空間に多くの生き物が生息しているのです。中でも鳥類は、目で確認することが容易で、なおかつ動きなども個性的、環境の指標にもなりうる種もあります。そういった事を理解していくと、京都の都市生態系がいかに鴨川で潤っているのかが見えてきそうです。

 写真の鳥類は、セグロセキレイ(Motacilla grandis)で、今ではどこの都市にでも生息している鳥類です。特に鴨川では、よく観察できる種で、声も高く、容易に認識が出来ます。観察していると採餌している場面に出くわすこともあり、羽虫などの小さな昆虫類を食べている風景をよく見かけます。そういった場面をまじかで見ると、生き物が生物多様性の鎖でつながっていることを実感できるのではないでしょうか。

 都市の生態系を考えることは、都市のランドスケープを学んでいく上で大切な項目です。学生の皆さんにはぜひ生き物の観察を通してランドスケープを学んでほしいと思います。

鴨川のセグロセキレイ

2011/11/07

鴨川の川面の光と夜の景観

 北山大橋に向かう半木の道からの撮影です。夕刻に太陽が沈んでしまうと、晩秋のこの時期は、急に暗くなっていきます。エノキなどの樹木が岸辺を暗くしていますが空はまだ若干、明るさを保ちつつ、来たる夜に向けての時間を過ごしているようです。

 暗くなると、車の赤いテールランプなどが、北山大橋を通る際に、川面に映してくれています。川の水の流れと、その光の映り込みの変化が、見ることを書きさせない美しい造形を作り出してくれています。日々の生活の一コマの映像ではあるのですが、きれいな景観を見せてくれているような気がする京都の日常です。

鴨川の夜の間際

2011/11/06

神戸旧外国人居留地の犬と場

 神戸の旧居留地にある大丸東入口に犬が2頭、寝そべっていました。閉店間際の大丸の出入り口あたりになぜかおとなしく寝ていました。どこかに飼い主さんはいるのだろうと思いますが、通る人は一様に驚いています。私もこの光景に驚きました。もしかすると飼い主の方がデパートへ買い物に入ってしまい、この子たちはそれを待っているのかもしれません。繋がれていない犬がいることに、犬が好きでない人にとっては、驚愕されたものと思います。私は犬が好きなので、あまり気にはならなかったのですが…。

 街の中で、犬のいる周りのそこだけ空気の流れが少し違うような気がしました。慌てて足早に動き出している人たちも、彼らを見かけると、すこしだけ歩みが緩やかになり、その場の空気の流れが緩やかに、そして優しい流れになったような、そんな感じがしました。空気の流れだけではなく、その場の色も少し変化しているように感じました。空間の色を表現するのは難しいのですが、濃い色というより、すこし淡いような感じの色が、デパートの淡い光源と相まって広がっているような気がしたのです。

 少しのアクセントの存在が、その場を大きく変えるかもしれない、すこし面白い光景だたっと思います。


写真を撮られています