2022/09/01

三原港と興安丸の錨

 祖父が存命だった時に,戦争の事を幾つか聞いたことがありました。当時は余り気にも留めていませんでしたが,今になって思う事は,「もっと聞いておけばよかった」という事です。沢山の話の中で,舞鶴の引揚船とその船が三原港に係留されていたことを聞いたことがありました。そういった経緯で以前,舞鶴の引揚記念公園や復元桟橋を見に行ったことも有ります。

 今夏,島の田舎へ向かうために三原港にたたずんでいました。鉄道との接続時間がうまくいかず,思い掛けずに時間の間が開いてしまいましたので,船の待ち時間です。乗船まで時間が有ったので港の周りを少し歩いてみました。三原港周辺は子供の頃はよく頻繁に使っていた港でしたが,このところはずっと因島や生口島経由で車にて船に乗って渡っていたので,駅前の変化には驚きました。綺麗に整備されたことは,とても良いなと思う反面,昔の雑多な町の空間,路地の空間などが全て無くなり,細々した空間性が霞んでしまったこと,一方ではその大きな変化に悲しさを覚えました。自身の子供の頃からの記憶が断片化されたようです。昭和50年,60年代のノスタルジックかもしれません。とはいえ,そこに住まう方使う方の利便性でそうなったことですので,それも町の一つの歴史といます。

 最近は港回りを見て回ることがほとんどありませんでしたので,驚きも大きかったのです。あれほど賑やかだった港が何となくさみしい感じを受けるのです。便数の激減や利用客の減少が,港の空間で染み出してきているような雰囲気を感じます。以前はもっと賑やかだった気がするのですが,それも以前の記憶の合間の話かもしれません。回ってみると,港湾ビルの東側の角あたりに,大きな錨が据えられています。興安丸と書いたパネルがあり,引揚船でもあったことが記されています。この興安丸について気になって調べた中で,シベリア抑留の人たちとシベリア犬のクロの話(舞鶴市引揚記念館)が,印象に残りました。この錨を見て,興安丸について祖父が話していたことがあったことを覚えているのですが,話していた内容が,おぼろげに見えてきそうではあるのですが,矢張りちゃんと話を聞いておけばよかったと後悔しています。昨年にパネルが新しく設置され,その歴史について書いてくれていることから,多くの人がこれを見て,その錨の歴史を感じてくれるだろうなと思いました。また,その錨周囲にはオープンスペースとしてデザインされ,上手く港と調査していると感じました。小さなポケットパークのような感じですが,港での船町の時には訪れて欲しい場所の一つです。

興安丸の錨