2016/02/29

遊子水荷浦段々畑

 この段々畑を目的に行きました。はじめは外泊の石垣段々集落を見に行った後に遊子へ。息をのむ光景とはこういったものだと思いました。この平成の時代にまだ日本で,ここまで素晴らしい石垣の空間が広がっていることに感嘆します。昭和の高度経済成長以前では,当時の写真などを見ると愛媛南予あたりには多く見られた光景ですが,今は断片でしかありません。そういった中でこの水荷浦の光景は連続した石垣が残っています。これは単に光景が素晴らしいだけではなく,先人たちから,延々と引き継いだ今の管理されている人たちのご苦労が,目に映ってくるようです。これは,その上に成り立った結晶した光景に他なりません。とにかく素晴らしいということと,ため息しか出ない光景なのです。

 愛媛大生時に,こういった光景が有るのは知っていたのですが,大学の有る松山から南予へは遠く,行く機会が無く,今回この光景を見るにあたって,なぜ学生時代に行かなかったのかと悔やまれてなりませんでした。その当時ならもう少し石垣の空間がまだ各地に多く見られたのではないかと思ったからです。今回,この水荷浦段々畑の周りの空間にも補修と思われる新たな石垣空間を見かけましたが,草に埋もれてしまう空間も多く,人の手の少ない中で,徐々になくなっていくものもあるのだと思ってしまいました。とはいえ,この水荷浦ではまだまだ現役の石垣段々畑が広がり,人の手による美しい造形に多くの人が見てもらえたらと思いました。ランドスケープとしても今見ておくべき光景の一つです。

石垣が山頂まで続きます

2016/02/18

川の線

 京都の高野川の川底です。線が見えます。特に何となくなのですが,以前から気になっていました。北山の方での大雨などの際には,線が乱れます。穏やかになるとほぼ同じ場所に線が見られます。川砂と藻の関係だと思うのですが,規則正しい直線を作っています。山から石が流れて来たら,形状は変わる自然の造形ではあるのですが,人が思ったような感じにはならないのが面白いかもしれません。

 水は造園,ランドスケープデザインにおいて,大変面白い素材です。水の流れは同じ形状が無いものです。だからこそ面白いのでしょうね。中でも水の流れを見ると,その最たるものだなと感じます。水の動きによって,光によって,風によって,気温によってどんどん変わっていきます。この川底の線の造形もそうですが,素材として活用したくなる気持ちが良く分かります。そういえば,身近な京都での寺院の庭や,私の好きなイサムノグチの作品にも水が多様に使われていますし,そういった作品を眺めているといつも同じではない,完璧さではないものの楽しさが見えてくるようです。

川の水が落ち着くと線が出来ます

2016/02/04

吉田神社大元宮

 吉田神社の節分祭は大変人が賑やかに来られ,多くの人が参拝されています。斎場所大元宮も節分祭の時期は参拝できます。全国の神様をお祀りされている場所です。それぞれの國の名前が書かれた額があります。例えば,「佐渡國」や「筑後國」,「播磨國」などなど。日本は多くの国で出来ているのだなと実感できます。それぞれの國,町に文化や風習,伝統文化や方言があり,豊かな町々がたくさんあるのだなと感じます。ただ,高度経済成長期以降の発展,平成に入ってからの移動や情報の急激な発達から,その町々の個性が徐々に均一化されていることが残念かもしれません。周りの国にも目を転じていくと,日本だけではなく,東アジア全体がそうなっているようで,町々の「本当の個性」は何だろうか?と考えていく必要がある時代に入っているのではと思います。

日本中の神様がいます