2019/08/20

佐川美術館の植栽

 滋賀県守山市にある佐川美術館へ初めて行ってきました。佐野美術館(三島市)所属の日本刀を見るのが主目的でしたが,美術館建築と敷地の植栽が気になりました。まず思ったのは,建築と水の使い方が上手く,水景が美しく仕立てられていることです。そして,その水は透明感に澄んで,恐らく水循環がしっかりされています。琵琶湖との連動性を感じられる空間です。中でも写真の様に水に浮くような形態でヨシやヒメガマなどの植栽を施しているのは面白いなと感心しました。手入れも大変だと思うのですが,使い方,見せ方が良いなと感じます。水の管理と植物の管理をしっかり目をかけなければならない管理方法です。それをただただ,美しく見せてくれています。
 残念だったのは美術館敷地外の景観が目に入ることです。周辺の樹木で隠そうとしているのかもしれませんが,残念ながらそうは成っておりません。恐らく湖の気候や湖からの風の影響,土の状態もあるのでしょう。樹木自体,余り成長が出来ていないようです。多分,本来であれば敷地外での目隠しする役割を樹木が担っているのでしょうが,周辺にある無粋な電信柱や個人建築物などがどうしても目に入ります。そのあたりを上手く樹木植栽で隠せられると,美術館建築と水景,植栽と相まってもっと良くなるのではと思った所です。
 そうはいっても水景と水景植栽は面白いので,学生達にはぜひ見て欲しい空間です。


明かり取りも美しいデザインです

2019/08/17

室内の植物

 研究室の植物が増えてしまいました。室内デザインやレイアウトのセンスの少なさを実感してしまいます。もう少し統一感のある植物ならまた違う室内デザインだったかもしれません。日々学生に色々なものを見なさいと言っておきながら,室内インテリアや室内植物(インドアグリーン)について少し怠けていたようです。以前はよく見学に行ったりしていたのですが,「忙しい」の言い訳でさぼっていたようです。色々な室内植物も再び見るようにしようと思う所です。
 もらったり,贈られたり,また枯れそうなのを見かねて引き取ったり,つい株分けしてしまったりと今は雑多な状態ですが,個々の植物は元気に育っているので,結果良しと云う所でしょうか。一番古株の植物は,15年前の博多生活の時に購入したクラッスラ・ポルツラケア(Crassula ovata (Mill.) Druce)です。葉の縁には斑入りがあり,15cm程度の小さい鉢植えを買ったのですが,今では「木」といってもいい位になってきました。大きくなるにつれて斑入りは無くなり,緑のみとなりましたが,今では60cmは超えた感じの立派な幹の太い木になっています。何度か枯れかけたにも関わらず,京都に移ってからもすくすく育って来ています。鉢の大きさも限界に来ているので,そろそろ抑えなくてはと思う所です。室内植物の大きさは部屋の環境,風通しや光の量,室内の乾燥度合いなどもを考えないといけませんが,この下鴨キャンパスの室内空間は思ったよりも良い環境のようです。

研究室の外も緑です


2019/08/16

台風の後の賀茂川と植生

 今朝まで台風の関係で雨が多く降りました。そのせいですが,北大路大橋から見る賀茂川の水量が増水しています。昭和10年から昭和22年にかけて整備がされ,今の鴨川(賀茂川)の原型になっていますが,大正生まれで当時を知る人に以前お話を聞いたところ,昭和10年の水害は大変だったそうで,そこいらじゅう水浸しだったと聞きました。普段は穏やかな川で水浴などもできて子供には良い遊び場でもあるが,大雨は一変し大災害をもたらす川で厳しい暴れ川ですと言われました。今日の増水を見て改めてそう思います。今ではしっかりした治水のおかげでそういった事も少なくなりましたが,古くから京都は賀茂川の洪水に悩まされたようです。

 下鴨キャンパスはもともと氾濫原の場所で,その名残としての植生がキャンパス内やその周辺の場所での樹木に見られます。今では氾濫も無くなったので,植生自体が遷移や変化をしてきています。植物の視点からみるとまた違う答えが見えてきそうです。そう思たっときに,幾つかの論文を思い出しました。京都市内の樹木の経年変化を追いかけて調査した論文や下鴨神社の糺の森の経年変化を詳細に見た論文です。こういった研究は地誌植生史に近い研究で大変な根気と労力の賜物の研究だと思います。ご興味が有れば是非検索して読んでみて下さい。

・木村元則 他(2019)京都市街域に生育するエノキ,ムクノキ及びケヤキの30年間の残存様式,ランドスケープ研究 82(5), 697-702
・田端敬三 他(2007)下鴨神社糺の森における林冠木の枯死とそれに伴う木本実生の侵入定着過程,日本緑化工学会誌 33(1), 53-58

増水しています

2019/08/15

鶉野飛行場と紫電改

 いつもですと,このコラムに書き込むのは基本その時の近返のことを書いているのですが,少し前に訪れた鶉野飛行場について少し触れようと思いました。17年前から何度も訪れている場所です。2016年までは防衛省が管理していた場所で,今では兵庫県加西市が管理しています。この飛行場は姫路海軍航空隊が駐留し,特別攻撃隊,いわゆる特攻の練習をして各地に行かれた場所です。弾薬庫跡や防空壕跡,機銃座跡など多くの戦争遺跡が点在しています。今年の初夏には紫電改の実物大模型が令和元年69日から展示もされています。私は公開の一足先に見させていただきましたが,戦闘機の実物大を見るのも触れるのも全てが初めてだったので,何とも言えない実感と虚実感が交錯した気持ちになりました。このような大きさの機体に機上して,それも自分よりだいぶ若い,今私が教えている学生さんの世代が当時ここで訓練していたのかと思うと,別の感情も沸き上がりました。

紫電改の操縦席です

 こういった実物大の機体を置くことにも,また戦争遺跡の存在自体も,その在り方を問う,また存在に関する賛否があります。が,実物大の物を置くのは,その当時を思う気持ち,そして考えるきっかけを与えることになるのではと思われます。無くても良いのではといった答えもあるでしょう。それも正解かもしれませんが,私は今回,現物を見てやっぱりあった方がいいのではないかと実感しました。考えるきっかけの装置になりうるのではないかと思ったのです。

 また,周辺にある戦争遺跡も実物が無くなってしまうと,「無かったこと」になってしまいます。これからこういった遺跡をどう残していくのか,そしてどう活用し,次に繋ぎ,記憶を残していくのか。戦争を祖父母から直接聞いて育ってきた私たちの世代の仕事のような気もしています。私が子供の頃の昭和50年初めでは,今では考えられないですが,国鉄大阪駅と阪急梅田駅前あたりや国鉄三ノ宮駅や神戸駅で傷痍軍人さんが居ました。そういった光景を見た最後の世代かもしれません。いま教えている学生さんは平成生まれです。戦争の話はあまり聞かない世代になっているようで,世間でいう風化は大きいなと思う所です。私も被災した阪神淡路大震災の経験も同じようだとこの頃考えるようになりました。今,ランドスケープとしてどうできるのかを考えている所です。

整備途中の滑走路です