2011/07/11

北京の街・胡同の通り

 胡同には四合院の建物が多くあり、その合間の通りは、日本の路地空間と同じような感じを受けます。人の生活が見えてくる場でもあるのです。人の声などの生活の音、食事の匂い、そして空間そのものの視覚効果、北京のこういった空間が、徐々に減っていることに、空間が喪失していくことが、記憶の継承が出来なくなっていくのではないかと思わざるを得ません。 

 ノスタルジックな空間を維持することが大切ではなく、その生活している空間を何とか残すことができれば、良いなと思います。とはいえ、空間を切り取ることは、可能です。単に、建築や道をそっくり箱ものとして移転すればよいのですから。でもそれでよいわけではありません。そこに人が生活をしていて、人の生活が時間の醸成させていることが、実は、空間にとって、とても大切なことだと考えています。したがって、単に移転するのであれば、風景や景観にとって意味はないのです。


 写真は、緑化による緑のカーテンです。思い切った空間の活用です。胡同の小さな通りだからこそこういったことができるのでしょう。北京の夏の暑さもこのような緑の空間があることで、少し和らいでいくのではと思います。日本の路地空間での緑の使い方と同じです。人が考えることは、国が違っても、やはり同じなのでしょうね。

胡同の路地