2011/11/25

京都北山のフウ

 大学のある北山のキャンパスは、緑が豊かです。こちらの大学に赴任して思ったことは、府立植物園や賀茂川との緑の空間が連続してあり、緑の中で大学が作られていると感じたことです。日本各地のどこの大学でも「緑」は、なにかしら植栽されていますが、この北山のキャンパスは、特にシイやカシの古い樹木もあり、またフウやナンキンハゼの葉の紅葉などの季節感も多くみられ、歴史のある大学空間を樹木と共に作ってくれています。

 樹木は、一朝一夕で成長するものではないので、樹木たちは、大学の財産だともいえるものです。日本各地の大学で大きな木のある大学は、なんとなしか心が落ち着く空間を作ってもいますし、地域のランドマークにもなっているものが多いと思います。それだけ樹木の力、存在感があるといることなのだと思うのです。

 私は、大学や院で造園や庭の講義や指導をしていて、学生さんたちに伝えたいと思うことがあります。それは、造園や景観について、生き物や植物を相手にしているので、その成長や形態をよく考えなくてならないことです。植物を簡単に紙の図面の上に描いていくだけではダメなように、現時点である植物も、どう維持管理するのかを考える必要があるのです。特に、大きな樹木であったら尚更ですし、その存在感が強ければ強いほど、その維持管理を考えないといけません。

 昨日、出勤して目を疑った光景があります。キャンパス内の樹木剪定の仕方が、強剪定されている状況で驚きました。理由があってこのような剪定をしたのだろうか?と考えてもみましたが、よくわかりません。一日おいて今朝もよく見て考えたのですが、なぜこのような形状での剪定をしてしまったのか理解できませんでした。ただ、この剪定は、何かしらの理由があってのことだとは思います。というのも、意味がってこその事象であるからだと考えられるからです。

 学部や大学院の講義で私は、「京都の造園、剪定の仕方は、素晴らしいものがあり、剪定による樹景の見立てもすばらしくて、学ぶことがとても多い。加えて、その剪定の伝統も長くあり…」と言っているのですが、前言は撤回しなくてはいけないのではないかと、この剪定方法を見て一瞬考えてしまいました。今まで学内の剪定状況を見ても切り方が樹木にとってかわいそうなのもありましたが、今回ばかりは、あまりにも厳しい剪定ではないかと見て感じました。

 単に樹木の事で、1、2本ぐらい無くなっても…と考える人もいるかもしれませんが、存在感の大きかった樹木の変わりようは、見ていて痛ましく、少なくとも造園に携わる者にとって、何とも言いようのなく、答えが出てきません。加えて、キャンパスの緑の空間を少なからず変えてしまったことが、何とも悲しく思います。

 こういったことは、街の中でも多くの事例があろうかと思います。「意味が有っての剪定」であると考えますが、少なくともこの大学のキャンパスで、このタイワンフウの樹木の存在が大きかったといえる例といえ、環境デザインを学ぶ学生の皆さんには、事例として学んでほしいと思いました。

昨年までのフウの光景
今年のフウの光景



剪定されたフウ