2022/03/25

平等院とカワセミ

 日本造園学会の研究推進委員会に日本庭園のこころとわざ研究推進委員会があり,作庭記から,日本庭園を探っているところです。私もメンバーとして,当時の社会や信仰,思想,文化などから作庭記を読み解こうとしているところです。作庭記は,平安時代に橘俊綱が書かれたのではと言われています(諸説あります)。この橘俊綱の事を書かれたものに「今鏡」の巻四があります。そこには,宇治平等院の事も書かれてあり,気になって,久しぶりに平等院へ行ってきました。建築はそのままでしょうが,庭園に浮いては当時と比べて,だいぶ形状は異なっていると思われます。特に宇治川との動線,空間の形は違うので致し方が無いですが,当時を想像すると,思い浮かびそうで中々難しいものです。宇治川との接続はどうだったのか,今は無い巨椋池との湖面との関係はどうだっただろうか,対側にあったと言われる橘俊綱の伏見山荘との違いはどうだったのだろうか,夜の時に火が入った際の,この宇治の空間はどう見えただろうかと,色々と思いをはせていました。考えてもなかなか答えは出ません。また史料を基に試行錯誤しなければならないような気がします。

 見ている中で,カワセミが平等院の庇に泊まり,池面を眺め,おもむろに小魚を取って食していました。鳥にとっては今が大事であることを何かしら教えてくれたような気もします。

池面を眺めています

州浜と池