2011/08/06

交響詩の時間

 職場の横に京都コンサートホールがあります。そこで行われた京都市交響楽団第549回の定期演奏会に聞きに行ってきました。いつものことながら、残っている仕事を急ぎ片付けて、慌ててホールへ急行です。今回の演目は、夏の夜のお祭りのような曲で、DvořákRespighiRStrausの作曲ものです。中でも、Respighiの交響詩「ローマの祭」(”Roman festivals” symphonic poem)は、にぎやかなお祭り、喧騒、喚起、叫び、熱狂・・・。最後の主顕祭(The Epiphany)は、圧巻でした。

 夏の暑い時期に聞くこの熱狂的な音源。夏だからこそ楽しめた題目だったような気がします。夏の音の熱狂的な音源ということを考えてみると、この7月から鳴き始めたセミの合唱がそれに当たりそうです。朝方のクマゼミ、昼からのアブラゼミやニイニイゼミ、夕刻のヒグラシやツクツクボウシ。大きな音源で、夏を彩っているような気がします。逆にこの声を聞かなければ、「夏」が来たような気がしません。これは、私たちが「音」に対して「季節感」を抱くからです。夏半ばになると「キリギリス」や秋になれば「コオロギ」など、私たちの身の回りには、音「サウンド」によって認識し、季節感を得られます。

 音楽ももしかするとそうかもしれません。日本人の冬には「Beethovenの第九交響楽」が師走を彩っています。そう考えると今回の京響の演奏楽曲は、とても「夏」らしいものかもしれませんね。

パンフレット