2011/09/24

京都の喫茶店と時間について

 子供の頃は、よく祖父に喫茶店へ連れられていました。住んでいた須磨や神戸、元町界隈の喫茶店です。まだ、シアトル系などのコーヒーショップなどは無い時代で、ある意味、私にとっての普通の喫茶店の楽しい時代だったのかもしれません。大学生の頃までは喫茶店と言えば、普通に珈琲が飲める場所であり、いまのチェーン店系の軽く飲める場所はそんなに無かったような気がしますし、有っても行く気があまりありませんでした。そのうち東京で働き出してから、シアトル系のコーヒーショップでコーヒーを飲むのが日常になってしまいました。その変化は自分にとっての時代の違いのような気がします。

 2年前に京都に移り住んで間もなくの頃から、住まいのある西陣より、歩ける範囲で行ける古い一軒の喫茶店へ、ちょこちょこ行くようになりました。もちろん、今でもゆっくり落ち着かせる必要のない場合、シアトル系のコーヒーショップはよく利用しています。しかし、そういったコーヒーショップではなく、この写真の喫茶店へは、時間があるときに行くことが多くなりました。京都へ来てからですが、お店を使い分けています。

 写真のお店にくると須磨や神戸元町の喫茶店で感じた子供の頃の雰囲気を思い出させてくれます。そして、このお店へ行くと気づかせてくれることがあります。それは、喫茶店ですから珈琲を飲むことは大切な点ですが、それよりも、時間を楽しむことがとても大切なんだと気づかせてくれている点です。これは、自分の生活の時間を考えさせられるような気がしています。チェーン店では、人の動きが落ち着きません。お客さんが入れ替わり立ち代わりで、ガサガサしています。それは、人の生きていく時間の中で追いかけられるような気もするのです。それはそれでいいのですが、反対に「ゆっくりする」といったことは喫茶店だから出来るのかもしれません。

 単に珈琲を飲むことと時間を楽しむことだけなのですが、それだけの時間の流れの面白さを提供してくれる様は、古い喫茶店の力かもしれませんね。

古い喫茶店です