2019/08/15

鶉野飛行場と紫電改

 いつもですと,このコラムに書き込むのは基本その時の近返のことを書いているのですが,少し前に訪れた鶉野飛行場について少し触れようと思いました。17年前から何度も訪れている場所です。2016年までは防衛省が管理していた場所で,今では兵庫県加西市が管理しています。この飛行場は姫路海軍航空隊が駐留し,特別攻撃隊,いわゆる特攻の練習をして各地に行かれた場所です。弾薬庫跡や防空壕跡,機銃座跡など多くの戦争遺跡が点在しています。今年の初夏には紫電改の実物大模型が令和元年69日から展示もされています。私は公開の一足先に見させていただきましたが,戦闘機の実物大を見るのも触れるのも全てが初めてだったので,何とも言えない実感と虚実感が交錯した気持ちになりました。このような大きさの機体に機上して,それも自分よりだいぶ若い,今私が教えている学生さんの世代が当時ここで訓練していたのかと思うと,別の感情も沸き上がりました。

紫電改の操縦席です

 こういった実物大の機体を置くことにも,また戦争遺跡の存在自体も,その在り方を問う,また存在に関する賛否があります。が,実物大の物を置くのは,その当時を思う気持ち,そして考えるきっかけを与えることになるのではと思われます。無くても良いのではといった答えもあるでしょう。それも正解かもしれませんが,私は今回,現物を見てやっぱりあった方がいいのではないかと実感しました。考えるきっかけの装置になりうるのではないかと思ったのです。

 また,周辺にある戦争遺跡も実物が無くなってしまうと,「無かったこと」になってしまいます。これからこういった遺跡をどう残していくのか,そしてどう活用し,次に繋ぎ,記憶を残していくのか。戦争を祖父母から直接聞いて育ってきた私たちの世代の仕事のような気もしています。私が子供の頃の昭和50年初めでは,今では考えられないですが,国鉄大阪駅と阪急梅田駅前あたりや国鉄三ノ宮駅や神戸駅で傷痍軍人さんが居ました。そういった光景を見た最後の世代かもしれません。いま教えている学生さんは平成生まれです。戦争の話はあまり聞かない世代になっているようで,世間でいう風化は大きいなと思う所です。私も被災した阪神淡路大震災の経験も同じようだとこの頃考えるようになりました。今,ランドスケープとしてどうできるのかを考えている所です。

整備途中の滑走路です