2011/05/29

町家と坪庭の見学

 今週末の土日に町家の見学会があり、参加してきました。折しも台風が近づいていましたので、雨が降っていましたが、京都の町家は、しっとりした雨が似合っているような気がしました。京都の町自体が雨に似合っているのかもしれません。
 これは、造園を勉強し始めた院生の頃、雨の中、京都に庭を見に行き「京都の庭は雨が似合うのだなあ」と思った気持ちと同じでした。また、子供のころから、京都の庭を見に祖父に連れてこられ、雨の中嫌々ながら見た庭が、なんとなく雨のおかげで庭の様々な色が鮮やかに見られたことを思い出したからかもしれません。

 今回、町家の見学の中で改めて美しいと思ったものがありました。坪庭の空間です。今回見学した町家は再生された町家で、その中の坪庭では、雨よる雫がしたたっていました。その雫がスギゴケの上で玉のようにならんでいる様は、透明の小さな空間が並んでいるようでとても美しいものでした。
 坪庭の存在は、町家にとって大きいものです。荒れた坪庭は、やはり空気も荒れているような気がします。実際、私たちは空気を見ることができませんが、空気の流れは体感できるものです。荒れた空気、感覚的な問題かもしれません。気持ちの問題かもしれませんが、荒れた坪庭などの空間の中を空気が、風が通り過ぎる場合やその上を流れていく場合、空気も肌荒れのようになるのではないだろうかと思えるのです。
 丁寧に維持されている町家の坪庭の上を流れる空気や風は、やはりきれいな状態になっているのではないだろうかと思えるのです。

 今回見学したこの釜座の町家では、坪庭をとおって母屋の方へ流れる空気が、とても風通しの良く、町家らしい環境を創り出しているようです。その荒れていない空気の流れを楽しむのも京都の町家の楽しみかもしれません。

部屋から見るお庭